小生、日頃結構笑う方で、一人でいてもテレビや本など相手に笑っています。
自分が書いたブログなどで笑っている時もあり、極めつけは思い出し笑いです。
家内に良く、「何、笑ってんの?」と笑われてしまいます。

しかし、さすがに、自分の思う通りにならなかったり、人から嫌なこと言われたり、
ましてや体の調子が悪い時に
「一日一回、大声で笑いたくなくても笑いなさい」 と言われても・・・・・

「笑えません!」

皆さんはどうでしょうか?

何故、このような話をするかというと・・・・・

ヴィクトール・エミール・フランクルは、ナチスの強制収容所から
奇跡の生還をした精神科医で、『夜と霧』という体験談を著していて、
世界に有名な方です。

この、フランクル先生は、結婚して9ヶ月後に家族と共に強制収容所の
テレージエンシュタットに収容され、父はここで死亡し、母と妻は別の収容所に
移されて死亡という経験をしています。

その中で、フランクル先生は収容所の中で仲間に、
「一日に一つ何か面白い話を考えて、お互いに笑い合おうじゃないか」
と提案して、実践していたといいます。
冗談などとても考えられないような悲惨な状況下で、魂を振り絞るようにして
滑稽な話を考え続けたというわけです。

小生の本棚には、15年前に読んだフランクル先生が著した『夜と霧』があり、
今般、もう一度読み直しました。

想像を絶する強制収容所の中の出来事に絶句しました。
15年に読んだことは全く覚えていないのが不思議でなりません。

この人類最悪の出来事の一つである体験談は、事実を超リアルに客観的に
書いていて、それに対する自分の考えを精神科医として主観的に書いています。

主題は「人間とはなにものなのか」なのです。

話を小生なりに要約すると
 収容所の想像を絶する厳しい生活は、自己実現する道を断たれ感情消滅してしまう。
 しかし、人間にはなんでも可能だ。
 内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより
 満たされることができる。
 精神的に奮い立たせるには未来を思うことが必要だ。
 
そして、結論は
 なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える

しかし、小生思うに「なぜ生きるか」を理解できてる人はいるのでしょうか?
恐らく、ほとんどいないと思うのです。

フランクル先生はそこまで知っていて、「笑う」ことは、「生きる」ことの
一手段と捉えたのだと思います。

果たして、この本を読み直して小生の心境に変化があったか?

「笑えません!」 ではなく 「笑うようにする」 に
努力をしようと思うようになりました。

  

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