小生、小学校の時から今に至るまで、世の中の聖職者は、
「僧侶」「政治家」「医者」「学校の先生」「警察官」だと思っています。

思うに、聖職者とは、人を正しい方向に導いてくれて、困った時に親身に
なって助けてくれる人です。

時には、自分を犠牲にしても、弱い人々を救ってくれる人です。

もちろん、人間的に完ぺきに越したことはありませんが、少しくらい失敗して
笑えるぐらいの方が人間的で魅力がありますね。

小生には、この方こそ聖職者だと思う方がいます。

塩沼亮潤大阿闍梨様です。

塩沼亮潤(1968年3月15日 – )様は、宮城県仙台市出身の日本の金峯山
修験本宗の僧侶。大峯千日回峰行者です。

この大峯千日回峰がどれだけ凄いかというと
『大峯千日回峰行とは、奈良県吉野山にある金峯山寺蔵王堂から24㎞先にある
 山上ヶ岳頂上にある大峯山寺本堂まで、標高差1355mある山道を往復48㎞、
 1000日間歩き続ける修行です。9年の歳月がかかります
 万が一途中で行をやめざるを得ないと判断したならば、所持している短刀で
 もって自ら腹を切り、行を終えるという厳しい掟があります。
 肉体的にも精神的にも限界に近い非常に追い込まれた極限の中での行は、
 一瞬一瞬が命がけです。』

塩沼亮潤様の凄いところは、この様な荒行の経験を活かしながら、目線をグッと下げて、
我ら庶民の立場に立って、考えられ行動されていることです。

まさしく、「百万の経典 日下の灯」です。

『百万本の経典を読んで勉強しても、ただ頭の中に知識として持っているだけで
 活動しなければ、太陽の下のろうそくの火にすぎない。』
 つまり、役に立たないということです。

小生、塩沼亮潤様は、「本当のお坊様」 と心から信望しています。

 

皆さんも、以下のお言葉を知ると感動すると思います。

それでは紹介します。
(出典 今ここをどう生きるか 塩沢亮潤、横田南嶺著)

『一般の方が一生涯かけて会得する人生の行を、お坊さんは一定の期間、
 プレッシャーとストレスをかけて成長しなくてはいけない。
 なぜかといえば、人生の先生にならなければならないからですね。
 だから修行があるのでしょう。』
 
『人間力を持っていないと、お坊さんも大したことがない。
 そうでなければ、お坊さんの価値がないわけですから。』

『衆生の皆さんと同じ苦しみ悲しみをたくさん体験し、
 それをポジティブに乗り越えることです。
 自分も辛い思いをし、涙を流す経験をするからこそ、力のある言葉を
 与えることができます。
 自分が体得していない経験していないのに、上から目線で説いても
 伝わらないでしょうからね。』
 
小生、何度読み返しても感動してしまいます。

先ず凄いのは、お坊様は人生の先生で聖職者でなければならないと
御自分を戒め、厳しい修行をされていることです。

そして、一般の方、衆生の皆さんの苦しみを自分の苦しみとして
心から救おうとされていることです。

塩沼亮潤大阿闍梨様、これからも教えを乞うて行きたいと思います。
 
小生、今回の「人を知るって素晴らしい「本当のお坊様」 塩沼亮潤大阿闍梨」を、
皆様に紹介できてほんとに良かったです。

この様な立派なお坊様がいる現在の日本は、まだまだ大丈夫だと思います。

  

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