今週ー 遠くんかい行きぶさん旅ブログとしてうちなー話さびーん。
先ず、うちなー県ぬ概要紹介やいびーん。
亜熱帯気候
・やまとぅぬ南西部、かつ最西端んかい位置すん都道府県
・ノグチゲラ、ヤンバルクイナ、ヤンバルテナガコガネといった
天然記念物等貴重な生物が生息
・西表島一帯および石垣島ぬ一部が西表いしがち国立公園んかい
指定さりてぃおり、マングローブ林が広がいん
・太平洋戦争・うちなー戦後1972年までぃアメリカぬ占領統治下んかいおかり、
現在ん多数ぬ米軍基地が存在すん
・やまとぅぬリゾート地として観光産業が盛ん
・大小合わせたんうちなーぬ島数ー3363島。そのうち有人島ー47島。
うちなーうぅてぃー、県外ぬくとぅまとめてぃ「内地」、うちなー県ぬやまとぅんちゅ
「内地人(ねーんちゃー)」とぅゆろーん
何じゃ~これ~!全く分からんじゃないかい!
これんが沖縄語びーん。
え~~? これじゃ英語の方がまだわかびーん。
そうなんです。
最初から沖縄の文化の違いがよくわかりました。
それでは、沖縄編は標準語で紹介していきます。
第38弾 遠くへ行きたい 沖縄
先ず、沖縄県の概要紹介です。
亜熱帯気候
・日本の南西部、かつ最西端に位置する都道府県
・ノグチゲラ、ヤンバルクイナ、ヤンバルテナガコガネといった
天然記念物等貴重な生物が生息
・西表島一帯および石垣島の一部が西表石垣国立公園に
指定されており、マングローブ林が広がる
・太平洋戦争・沖縄戦後1972年までアメリカの占領統治下におかれ、
現在も多数の米軍基地が存在する
・日本のリゾート地として観光産業が盛ん
・大小合わせた沖縄の島数は3363島。そのうち有人島は47島。
沖縄では、県外のことをまとめて「内地」、沖縄県の日本人を
「内地人(ないちゃー)」と呼んでいる
沖縄は、私、5年前に仕事で1泊2日で行ったことがあり、
幸いにして1日目で仕事が終わりましたので(予定通り)、
2日目めったに来られない沖縄を観光してきました。
首里城と観光メインストリートの国際通りへ行きました。
また、1日目の夜と2日目の昼間に泡盛をたくさんいただきました。
これらでも十分沖縄を堪能できました。
私個人的に、沖縄の地理、歴史、人にたいへん興味があるので、
今回は良いチャンスと考えて、この場を借りて勉強させていただきます。
沖縄の地理
『沖縄県の範囲は東西に約1000キロ、南北に約400キロもの
広大な県域を持つ。
沖縄本島とその周辺離島を含めた「沖縄諸島」、
渡嘉敷島、座間味島を中心とする「慶良間諸島」、
宮古島とその周辺離島の「宮古諸島」、石垣島、
西表島を中心とする「八重山諸島」、
最も中国寄りにある「尖閣諸島」とエリア区分されている。』
下の地図を御覧下さい。
沖縄の歴史
『12世紀に農耕社会が形成されると、按司(あじ)と呼ばれる指導者が
グスク(城)を築き覇権を競うようになりました。
15世紀には統一王朝が形成され、独立国家である琉球王国が
誕生しました。
周辺諸国との交易により、琉球王国は繁栄を築きますが、1609年の
薩摩藩の武力侵攻により、その支配下に置かれることになります。
その後は、江戸時代の日本や中国の文化を吸収し独自の文化を形成した、
琉球文化の黄金時代です。
1879年、明治維新の余波を受けた琉球は最後の王・尚泰(しょうたい)の
代で幕を閉じ、沖縄県となりました。
明治政府が各地で急激な改革を推し進める中、沖縄は日本との制度や
風習の違いから改革への反発も多く、結果として諸改革はすぐに
行われませんでした。
特に大正末期~昭和初期の「ソテツ地獄」と呼ばれる恐慌は沖縄経済に
打撃を与え、出稼ぎや移民のために多くの県民が本土や海外に
出ていきました。
第二次世界大戦の激戦地となった沖縄は、ひめゆり学徒隊や対馬丸の
疎開児童のように多くの犠牲者を出しました。
1945年に日本が降伏するとアメリカの軍政下に置かれ、次々と基地が
建てられました。
念願の本土復帰が叶ったのは、敗戦から27年後の1972年。』
沖縄人
『沖縄県人の郷土愛は全国一強い。南国らしく、人々の性格は、
明るく楽天的なのが特徴だ。
「門中」と言われる血縁をまとめる仕組みにより、一族間の連帯意識は
非常に強いのが特徴。
また、他県を「本土」と呼ぶように、警戒心は強くても、決して排他的では
ないので、第一印象で判断しないほうが無難。
男性は楽観的、女性は強くてしっかりしている。
平等意識が強いので、男女差別的な言動や行動は御法度だ。
出身有名人 川平慈英、ジョン・カビラ、山田優、安室奈美恵、GACKT、
夏川りみ、新垣結衣二階堂ふみ、黒木メイサ、仲間由紀恵』
沖縄のことを全く知らなかった自分に気が付きました。
にわか勉強の私が言うのも烏滸がましいですが、地理、歴史、人から、
やはり沖縄文化は大和文化と全く違うものを感じました。
グーグルの地図上で旅をしてみましたが、小さくて尖閣諸島を見落としてしまいました。
いずれにしても、それを含めてかなり小さな島がはるか遠くにポツンといくつかありますが、
一つ一つの島には、それぞれ固有の歴史と文化があるのでしょうね。
歴史については、琉球王国時代が一番幸せだったのかもしれませんね。
その後、沖縄の方々の多くの苦難と悲しみと努力を感じました。
だから、沖縄県人の郷土愛は全国一強いのでしょうね。
そして、南国らしく、人々の性格は明るく楽天的なのに頷けました。
私、有名人で一番沖縄を感じるのは、二階堂ふみさんです。
エキゾチックでチャーミング、どこか謎めいていて、目が遠くを見ているようで
少し悲し気。体全体から南国のオーラみたいなエネルギーを感じます。
NHK大河ドラマ”西郷どん”で、沖縄の妻”愛加那”の演技は沖縄の女性
そのものだったと思います。
いずれにしても、沖縄の方々は超個性的ですね。
さて、話は変わり、私が経験した泡盛と首里城のお話をします。
泡盛
正直、沖縄で泡盛を飲むまでは、あまり好きではありませんでした。
なにか米臭いというか、米汁の味がするというか。
しかし、沖縄へ行って変わりましたね。
先ず、出張1日目のかなり遅ィ時間、3人で近くの郷土料理屋へ。
泡盛を何杯飲んだだろう。
入社した頃のレクレーションリーダー同士だったので、
昔話に花が咲いてもうベロベロ状態でした。
次の日、国際通りで昼間っから・・・。
その時は、飲み比べだと言ってアルコール度60度品に手を
出してしまって・・・。
飲んだ瞬間、熱いものが食道を通過するのがわかるんですね。
味なんてもん、わかりませんよ。
泡盛は琉球諸島で造られる蒸留酒で、米を原料として黒麹菌を用いた
米麹である黒麹によってデンプンを糖化し、酵母でアルコール発酵させた
もろみを単式蒸留器で蒸留して製造する。
もう、そんなことどうでも良い。さすがにその後、泡盛は飲んでいません(笑)。
首里城
『琉球王国の栄華を物語る世界遺産で、琉球王国の政治、外交、文化の
中心地として威容を誇った首里城。
中国や日本との長い交流の歴史があったため、首里城は随所に中国や
日本の建築文化の影響を受けている。
首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国統治の
行政機関「首里王府」の本部でもあった。
また、各地に配置された神女たちを通じて、王国祭祀を運営する宗教上の
ネットワークの拠点でもあった。
さらに、首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の
専門家が数多く活躍していた。
首里城は文化芸術の中心でもあったのである。』
あの煌びやかな首里城が、2019年火災により、正殿を始めとする多くの
復元建築と収蔵・展示されていた工芸品が全焼・焼失または焼損したことは
ショックでした。
私が訪れた時は赤みがかった威厳のある正殿が青い空に映えていました。
火災時のテレビでは、燃えていく首里城を呆然と見ている沖縄県民の姿が
ありました。また復興のお願いのため訪れた当時の菅官房長官に、
涙ながらに訴える玉城デニー沖縄県知事の姿に感動しました。
首里城は沖縄県民の心の拠り所だったのですね。
一日も早い復興をお祈り致します。
さて、皆さん、沖縄は如何でしたか?
私、とても勉強になりました
沖縄は魅了的でした。
http://shokuta.com/okinawa/
今度は蒼い海に絶対行きたい!
それではまた。
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