冒頭から強烈な問いですが。

皆さんなら、どう答えますか?

これは「致知出版社 1日1話読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」
の中の作家・三浦綾子さんの問いです。

『私の教会の牧師は「悪口のほうが罪が深い」と言われました。

 大事にしていたものや高価なものを取られても、生活を根底から覆されるような被害
 でない限り、いつかは忘れます。
 少しは傷つくかもしれませんが、泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。

 だけど、人に悪口を言われて死んだ老人の話や少年少女の話は時折、聞きます。
 「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、あんな年をしてても三杯も食べるのよ。」
 と陰で言った嫁の悪口に憤慨し、その後一切、食べ物を拒否して死んだ、
 という話があります。』

さて、小生はそう思いません。

「泥棒」と「悪口」共に悪いと思います。

泥棒は鼠小僧治郎吉や自分の生活苦で仕方なく必要最小限のモノを盗むのなら
まだ許せる範疇だと思います。
ところが、現在は殺人や放火を伴う犯罪・泥棒が大半を占めており許されるものでは
ありません。

小生、泥棒は今まで何とかしないで来ましたが、やっちゃおうかなと思ったことは
何度もあります。

一方、人の何気なく言う悪口は人を死に追いやる力がある。
特に現在はとても陰鬱で陰険、面と向かって言うのではなくSNSで誹謗中傷などの
悪口が氾濫しています。

小生も、悪口は日常茶飯事に言っています。

人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性です。

もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、怒ったり、くやしがったり、泣いたりする。

何ででしょうかね。

三浦綾子さんは言っています。
『それは私たちは常に、二つの尺度を持っているからです。
 自分の過失を咎める尺度と、自分以外の人の過失を咎める尺度とは全く違うのです。
 一つの例を言いますとね、ある人の隣家の妻が生命保険のセールスマンと浮気をした。
 彼女は「いやらしい。さかりのついた猫みたい」と眉をひそめ、その隣家の夫に同情した。
 何年か後に彼女もまた他の男と通じてしまった。だが彼女は言った。
 「私、生まれて初めて、素晴らしい恋愛をしたの。恋愛って美しいものねえ」』

もしかすると、泥棒にも二つの尺度があるのかもしれません。

要するに、泥棒も悪口も客観的に見極めて、自分がやられたらと常に思うようにして
やらないようにしなければなりませんね。

「泥棒と悪口を言うのと、どっちが悪いか」と言われたら・・・

両方悪い、ならぬものはならんのです。

  

  

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