12月10日午後、大月市民会館視聴覚室にて「小山田信茂公顕彰会 講演会」
が開催されました。
小生は今年4月1日に、大月歴史研究の市民団体「小山田信茂公顕彰会」に
入会しました。
元々、小山田信茂公について独自に研究を進めていたので、
自身の更なるレベルアップのためと信茂公の「無念を晴らす」ために
一石二鳥となりました。
主にブログのシステムを担当しています。
講演会の話の前に顕彰会の紹介をさせていただきます。
目的は
『約450年間の「武田家を滅ぼした男」という汚名を晴らす』
です。
具体的は
『小山田信茂公は、武田軍団の先鋒大将として活躍し、文武両道を備えた
武将として、信玄公からも信頼を得ていました。
しかし、江戸時代に出された「甲陽軍艦」で、信茂公は武田家を
滅亡に追い込んだ裏切り者とされたために、小山田逆臣説が通説と
なってしまいました。
それが誤りであったと、半世紀以上前から指摘され、近年多くの
研究者の検証により通説は覆されつつあります。
事実は、天正10年織田・徳川連合軍が甲斐国を焼き尽く勢いで
攻め入ってきた時(甲州征伐)、信茂公が自らの命と引き換えに、
一人の犠牲者も出さず、すべての神社仏閣にも触れさせず、
郡内を救ったのではないかと考えられます。』
今回の講演の演題は
『岩殿大岩壁の松風を聴き真実を視る
信茂公の先を見る眼と勝頼公と涙の決別・決断』
現在の最新の歴史的検証を踏まえて、その真実を探るものです。
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今回、顕彰会会長の熱弁が光りました。
小生は隣で機器の操作と講演補助を行いましたが、その熱い想いは
ひしひしと伝わってきました。
「今、私達ができうることは、歴史に真摯に向き合い、郷土の英雄、
小山田信茂公の事績を検証し、次世代が誇りをもって郷土を語る
ことが出来るようにすることであります。
同時にそれが、私たち世代の役割であり、責務でもあると考えます。」
いくつになっても、自分が信じることに情熱を持って突き進むことは
人生を豊かにします。
そして、それが世のため人のためであれば、尚のこと素晴らしいだと
思いました。
それでは最後にビデオをどうぞ!
(最後の垂れ幕に小生の名前が出てきます(笑)。
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