今週は ”遠くへ行きたい旅ブログ”の第41弾として奈良を話します。

古都奈良、響きが良いですねえ~。

奈良県は、私、観光では4回、仕事では5回位行っています。
初めての観光は、中学3年生15歳の時の修学旅行。
2回目の観光は、17歳の時のダックスホンダ50ccによる紀伊半島一周の時。
3回目の観光は、21歳の時、富山高専出身の友達とぶらり関西旅行。
4回目は、58歳の時の天理修行の旅です。
仕事では、ステアリングコラムメーカーが奈良県橿原市にあり、
京都から近鉄特急に乗り継いで、半分観光気分で出張してました。 
相手の営業の方々がお酒がお好きで、帰りは橿原神宮前駅前の
お蕎麦屋さんから飲み始め、近鉄特急の中、乗り換えの京都駅、
新幹線の中と延々と宴会が続きました。ありがとうございました。

奈良を超簡単に紹介すると
・奈良時代、平城京が置かれていた
・国宝建造物数は日本最多
・世界最古の木造建築物である法隆寺は聖徳太子ゆかりの寺院

良いですねえ。簡単で。

それでは、私の奈良ベスト5です。

ベスト5 奈良公園の鹿
中学3年生の折笠ジュニアが最初に思ったことは 「鹿?なんでいるの?」
次に思ったことは、「鹿せんべい、まずい。」
アホですねぇ~。1枚完食してますねん。
3つ目に思ったことは、「靴の裏が鹿のう●こだらけで滑ってしまう。」
それでは、鹿?なんでいるの?の回答です。
『奈良に都ができた頃、藤原氏の氏神として神様を茨城の鹿島神宮から
 春日山に移す時に神様が白い鹿に乗って来た。
 その後、藤原氏が栄えると春日大社も繁栄以来、鹿は神様の使いとして
 縁起物として、奈良では大切にされているそうです。』
昭和30年代には、鹿は天然記念物に指定されて神聖な動物とされているそうです。
最近、小生の家の隣の畑に、鹿様が来られて草をお食べになっておられますが、
神聖な動物として崇めなければいけませんね。

ベスト4 十津川渓谷
奈良県は海のない県ですが、奈良市から南にずっと下ると、奈良のイメージには程遠い、
山深い渓谷が続きます。十津川渓谷です。
吉野熊野国立公園内の奈良県・三重県・和歌山県にまたがる国特別名勝の大峡谷です。
バイクで走っているとあまりにも田舎なので心細くなってしまいました。
荒々しく切り立つ断崖と巨岩、静かな深い瀞の水は神秘的なコバルトブルーに澄みわたり
これぞ秘境だと思いました。
そして、そこには、私にとって、もっとも恐ろしいものがありました。
谷瀬のつり橋です。日本有数の長さを誇る鉄線のつり橋。
上野地と谷瀬を結ぶこの巨大なつり橋は長さなんと297メートル高さ54メートル。
歩くたびにゆらゆらと揺れるんですよ。富士急ハイランドの絶叫マシンより怖いです。
超高所恐怖症の私は、目をつぶって歩きたいのですが、足を踏み外して下に落ちてしまうので
体中鳥肌と下半身に冷たいものを感じながら、恐怖の297mを歩きました。
正確に言うと、行ったら帰ってこないとならないので、延べ594mです(笑)。
怖かった~。

ベスト3 奈良の大仏
奈良の大仏様は、今までに2回観ていますが、印象はとにかく大きい。
東大寺大仏殿(金堂)に入った瞬間、どぎもを抜かれます。
特に、お顔と手の平が大きかったことを覚えています。
なんと、正面の幅(東西)57.5メートル、奥行50.5メートル、棟までの高さ49.1メートル
重さ250トンですって! でけえ~!
正式名を東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)といい、東大寺大仏殿(金堂)
の本尊なんですね。
聖武天皇(第45代天皇)の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年
(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われたそうです。
何故、聖武天皇は、奈良の大仏様を造られたか?
こちらをご覧ください。折乃笠のレポートです。
http://orinokasa.com/%E8%81%96%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87.pdf
やはり、ピラピッドなどもそうですが、大きければ大きい程、権威を示すことができたのでしょうね。

ベスト2 天理修行の旅
私、58歳の時、天理修行の旅に出ました。
その目的は
宗教とは何か?新宗教とは何か?天理教とは何か?伝統宗教との違いは?
その教えは?良く生きるためには?
奈良県の宗教都市・天理市を訪れ、自分の五感と足で感じるためです。
結果、わかったことは
天理教は、教え、祭典、教育、文化、行動から“生きることを教えるもの”として
1.日本人に最も適した宗教であり、人間学、道徳心に最も則している。
2.天理教は宗教として、地理的、歴史的に理想に近い。
3.ただし、一新興宗教にしては規模が大き過ぎ、至るところで大きな財力を感じる。
この結果は、他宗教と共に“良く生きるためには?”の考察に活かしたいと思っています。
青い空、白い雲、鮮やかな緑、塵一つない道。これぞ天理の風景。
天理は、私にとって素晴らしい思い出を残してくれました。
http://orinokasa.com/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99.pdf

ベスト1 奈良の歴史
私、歴史が大好きなんです。好き過ぎて、縄文時代から近未来までをテーマに
本を書いてしまいました。
奈良の街を歩いていると、重厚な歴史を肌で感じます。
京都や鎌倉とは明らかに違ったものです。
それは何か?
「歴史の匂い」を感じるのです。東大寺、正倉院、春日大社、薬師寺、唐招提寺、
法起寺、そして法隆寺。
私は、もう一度奈良を訪れて、この「歴史の匂い」を思う存分味わってみたいと
思っています。
さて、奈良時代の歴史を紐解くと、中心人物はやはり聖武天皇ではないかと思います。
以前、私は聖武天皇に成り代わって、奈良時代の歴史を訪ねる徒歩の旅をしました。
http://oriizumi.com/%EF%BC%93%EF%BC%94%E6%B5%B7%E8%80%81%E5%90%8D.pdf
聖武天皇は、仏教の安泰をはかるために、政府は国ごとに国分寺を建てさせ、
国司を派遣して地方行政を実施させました。
更に、中央政府の思惑とその役割について、聖武天皇が現地に赴き、実情確認を
実施したのです。
私は、歴史はロマンだと思います。
奈良のような素晴らしい歴史的な街を持つ我々日本人は幸せですね。

さて、しっとりとした奈良は如何でしたか?

皆さんも是非、奈良に行って観て下さいね。
http://shokuta.com/nara/

それではまた、お会い致しましょう。合掌。

付録
更に奈良時代に興味のある方はこちらを御覧下さい。
年表(奈良時代前期)
710年 元明天皇により平城京遷都が行われる・藤原不比等により飛鳥の「厩坂寺」を
     「興福寺」として平城京内に移転。
712年 「太安萬侶(おおのやすまろ)」が「古事記」を編纂
713年  各国の『風土記』編纂を指示
715年 元正天皇(女帝)即位
718年 薬師寺が平城京内に移転・飛鳥の「法興寺」を「元興寺」として平城京内に移転
720年 史書「日本書紀」が完成
721年 行基により現在の「喜光寺」の元となる「菅原寺」が創建
724年 聖武天皇即位
728年 東大寺の前身寺院「金鐘寺」創建
729年 長屋王の変
年表(奈良時代中期)
730年 光明皇后が「施薬院」を設置し、興福寺五重塔も建立
737年 平城京内で天然痘が大流行。「藤原四兄弟」ら有力貴族も含め多数が死亡
740年 「藤原広嗣の乱」が大宰府で発生・恭仁京に遷都
741年 各国一つずつ「国分寺」・「国分尼寺」を建立する詔が示される・東大寺の
     前身寺院が国分寺に昇格
742年 紫香楽宮の建設
743年 聖武天皇、大仏建立を発願
744年 難波京に遷都
745年 「行基」が大僧正に就任・難波京から紫香楽京に再遷都し、その後平城京にも再遷都
747年 「東大寺」で大仏鋳造が開始
749年 孝謙天皇即位
752年 東大寺大仏開眼供養・修二会(お水取り)開始
754年 唐から鑑真和上が来日して戒律を伝える
758年 淳仁天皇即位
759年 鑑真和上が唐招提寺を創建
764年 藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)・孝謙上皇が称徳天皇として即位・西大寺創建
年表(奈良時代後期)
768年 藤原氏により春日大社創建
770年 光仁天皇即位
781年 桓武天皇即位
784年 平城京から長岡京へ遷都(奈良時代の終わり)

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