2026年8月8日・9日、大月市民会館2階ギャラリーなどを会場に、「第32回 大月空襲 戦争と平和展」が開催されました。
大月市平和を考える会と大月空襲戦争と平和展実行委員会が主催し、大月空襲に関する写真や資料が展示されました。実物資料の一部は、北都留教育会館が所蔵するものです。
戦後81年を迎えた今、大月空襲を記憶から消してはならない。
会場に並んだ一枚一枚の写真や資料からは、その強い願いが伝わってきます。
大月市の行事予定表でも、「大月空襲にかかわる資料展示」として紹介されています。
過去―終戦のわずか二日前
1945年8月13日、午前8時15分から20分ごろ、大月の上空にアメリカ軍の艦載機が飛来しました。
それは、終戦を知らせる玉音放送のわずか二日前のことです。
当時の大月は、中央本線と道路が交わる交通の要所でした。大月駅周辺には、能登精機、興亜航空、大月産業などの工場があり、都留中学校や都留高等女学校の校舎も軍需生産に使われていました。
しかし、大月市郷土資料館がアメリカ軍の戦闘報告書を調べた結果、艦載機部隊の当初の攻撃目標は、大月ではなく川崎にあった東京芝浦電気だったことが分かってきました。
目標地域が厚い雲に覆われていたため、艦載機は別の投下地点を探し、雲の切れ間から見えた工場群とダムを攻撃しました。その場所が、大月だった可能性が極めて高いとされています。
つまり、あの日、大月の上空が雲に覆われていたなら、この空襲は起きなかったかもしれません。
人々の日常と命が、偶然開いた雲の切れ間によって奪われたのです。大月市郷土資料館による米軍戦闘報告書の解説を読むと、その理不尽さに言葉を失います。
確認されているだけでも38発以上の爆弾が市街地や菊花山周辺などに落とされました。『大月警察署沿革史』には「投下爆弾八〇個余」と記されており、正確な投下数は今も確定していません。
都留高等女学校では、爆弾が校舎本館と校庭に命中しました。女生徒、教員、用務員ら学校関係者24人の命が奪われました。
そのほか、浅利の防空壕、興亜航空の社宅、税務署付近、大月駅周辺、住宅地などでも、子ども、学生、会社員、主婦、市民の尊い命が失われました。記録に残る死者は61人、建物被害は140棟以上に及んだとされています。
死亡者数についても、当初は54人、その後59人とされ、新たな資料によって2人が加えられ、現在は61人とされています。この数字の変化は、記録から漏れてしまった人を一人ずつ探し出してきた歴史でもあります。大月市郷土資料館の被災者調査には、犠牲者の名前や年齢、被災場所が記されています。
61という数字の向こう側には、61人それぞれの人生があり、帰りを待っていた家族がいました。
現在―資料と慰霊の場所が記憶をつなぐ
今回の展示は、過去を眺めるだけのものではありません。
爆弾の破片、機銃弾の薬莢、学校の日誌、戦災関係文書、当時の写真、着弾地点を示す地。
こうした資料は、大月空襲が遠い土地の物語ではなく、現在の大月駅、大月短期大学、都留高校、大月東小学校など、私たちが毎日のように目にしている場所で起きた事実だと教えてくれます。
小生も先日、行願寺にある遺髪塚を訪れ、手を合わせて参りました。
遺髪塚は1955年8月に建立され、空襲で亡くなった都留高等女学校の女生徒や教職員ら24人の遺髪が納められています。高台からは、かつて都留高等女学校があった現在の大月短期大学方面を望むことができます。行願寺の遺髪塚案内によれば、現在も毎年8月13日に追悼法要が営まれています。
展示会、遺髪塚、浅利防空壕跡、むすび山の防空監視哨などは、失われつつある記憶と現在の私たちを結ぶ、大切な場所です。
未来―大月空襲を映画として遺す
小生は今、大月空襲を題材とした約30分の映画を、「過去」「現在」「未来」の三部構成で制作しようと進めています。
「過去」では、空襲前の普通の暮らし、7月10日の先行空襲、そして8月13日の朝に何が起きたのかを描きます。犠牲者を単なる数字ではなく、一人の娘、一人の息子、一人の市民として表現したいと思います。
「現在」では、今回の大月空襲展、遺髪塚、戦争遺跡、体験者や遺族の証言、そして平和な現在の大月を映します。
「未来」では、この記憶を受け取った子どもたちや市民が、どのように平和を守り、次の世代へ伝えていくのかを描きたいと考えています。
生成AIも活用しますが、史実、証言、推定、映像上の創作を明確に分け、事実を大切にした映画にします。
大月空襲を「過去の悲劇」で終わらせたくないですね。
現在の私たちが記憶を受け継ぎ、未来へ手渡す。今回の大月空襲展は、その大切な橋渡しをしてくれたのだと思います。
戦争の反対側にあるものは、単なる「平和」という言葉だけではありません。
家族と食卓を囲むこと、学校へ通うこと、仕事をすること、笑い合うこと、そして健康で普通に暮らせることです。
その当たり前の一日が、どれほど尊いものであるか。
小生は大月空襲を「過去」「現在」「未来」に分けて映画で表現し、戦争を知らない世代にも心で感じてもらいたいと思っています。
資料に残された記録を映像にし、失われかけた声を未来へ届ける。
それが、今を生きる小生にできる慰霊であり、平和への小さな一歩であると信じています。

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大月の空が裂けたあの日の出来事が、「雲の切れ間」という偶然によって引き起こされたという事実は、折之笠さんのブログで初めて知りましたし、本当に理不尽でなりません。
数字の向こう側に確かに存在した61人の人生、そしてその人たちを待つ家族の時間まで想像すると、戦争の重さは単なる歴史ではなく “私たちの生活の裏側にある現実” なのだと感じます。
展示会や遺髪塚、そして映画制作という形で記憶を未来へ手渡そうとする姿勢には、深い敬意を称します。
「当たり前の一日」がどれほど尊いか…その気づきを、私も自分の生活の中で大切にしていきたいと思います。