現在、世界中で新型コロナウィールスが猛威を振るっており、
日本をはじめ各国はその対応に国を挙げて実施しています。

今から125年前、日清戦争が終わり、コレラやチフスが荒れ狂う
中国大陸から帰還する兵士23万人余をわずか3カ月あまりで
壮大な大検疫を行った日本人がいます。
医師にして臨時陸軍検疫部事務官長・後藤新平(1857~1929)です。

今般、知人である方の音頭で、後藤新平勉強会が発足されました。

今回、第三回目があり、議題は後藤新平が南満州鉄道総裁時の事業の話です。

ここで自称鉄道評論家折乃笠が個人的に印象に残った点として
南満州鉄道は単なる鉄道会社ではなく、多くの付帯事業を持つコンツエルンで、
行政権を持つ地方政府、軍隊を持つ、清国との外交を一部担当した等の話です。

何故、鉄道中心か?
明治時代は、鉄道が産業として技術として経営としてのシステムとして最先端で
あったからだと思いました。
たぶん、現代では軍事産業が中心になるだろう。日本で言えば三菱だと思います。

もう一つ注目点として、現在の鉄道事業の礎を作ったことです。

今回の勉強会は、優秀な中国の女性の方が主担当で進められましたが、
「今の観点は固い(固定的)けれど、小さい事を調べていくと国境の事なども
流動的だったことがわかる。」といった意見が素晴らしかったです。

何事も固定概念を直ぐ信じてしまいますが、コツコツ小さなことでも良いから
調べて行くと、改めていろいろなな事がわかってくる。
今回は中国満州の当時の地図を調べて、道路の名前が日本名が多い事、
日本名の意味を調査しばがら当時の状況を考察しています。

いろいろな学問は全てそうだと思いますが、特に歴史は特定の人が書いた
本や文献を鵜呑みにするのではなく、複数の本や文献調査、更に当時の
生の資料を自分の目で調べて頭で考えて、ストーリを構築することが大事ですね。

やっぱ、歴史は面白いです。
歴史はロマンです。

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