今年のノーベル医学・生理学賞は、化石の中から見いだされた貴重な
古代DNAの断片を利用する、先駆的なヒト進化研究に授与されました。
現生人類ホモ・サピエンスとは無関係と考えられてきたネアンデルタール人が、
発掘されたネアンデルタール人の骨のDNAを解析したところ、そのDNAが
ホモ・サピエンスに受け継がれていることがわかったのです。
小生、この話を聞いて大ショックを受けました。
その理由は以下によるものです。
エッセイ第三弾「人として何が大切か、真の幸せとは何か」では、いろいろな
学問分野を調べて考察しています。
人類学や生物学殻の考察です。
『300万年前に猿から進化した猿人が登場し、70万年前に原人が現われ、
今のホモ・サピエンスになったのが10万年前。
ホモ・サピエンスへの進化は、動物学的に徐々に進化したのではなく、
遺伝子の突然変異によるものだという。
遺伝子の突然変異によって、ホモ・サピエンスが得たものは何か。
それは、「理性の血」だという。
ホモ・サピエンスは、「理性の血」と「動物の血」を持つという。
人類の進化の時間の尺度でみれば、人は「理性の血」よりも「動物の血」
のほうが圧倒的に濃い。
一世代前のホモ・ネアンデルタールの顔を見るとより納得できる。
次々と表出する「動物の血」は、ねたみ、やっかみ、憎しみ、怒り、利己心、
自暴自棄、暴力的な衝動など、まるでジャングルの獣のごとく、負の感情
を生み出す。
我々の生活でも日常茶飯事に起きている。
恥ずかしくて思わず赤面してしまう。
その「動物の血」を抑制し、コントロールするのが「理性の血」だという。
人間は「理性の血」で自分をコントロールしなければならない。
そのためには、そのことを自覚しながら、「心」を常に向上させなければ
ならない。』
つまり、我々ホモ・サピエンスは、「理性の血」と「動物の血」を持って
いますが、ネアンデルタール人の血を引くことによって、より「動物の血」
が濃かったということになると思うんですね。
結果論ですが、今の世の中を見ていると頷けてしまいます。
当時ネアンデルタール人は今のロシアに多く分布していたのではないでしょうか?
とても、ホモ・サピエンス(人間)のやる事とは思えません。
今、期待したい事は、このDNA解析によって人間の原点に迫るような発見です。
何故、ホモ・サピエンスはこのような愚かな戦争を起こすのか、
まったく見ず知らずのお互いに損得の無い者同士が殺し合うのか、
その根本を解析してほしいですね。
もしかするとネアンデルタール人よりもホモ・サピエンスの方が
劣っているのかもしれません。
参考資料
小生の「神奈川の歴史を訪ねる徒歩の旅 【3】弥生時代 三浦半島」より
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小生は、「動物の血」は ”本能” だと思います。
特にこの本能を発揮する場面としては、スポーツ試合だと思っています。練習とは違った雰囲気の中で潜在的能力を引く出すことがあります。これが本能=動物の血だと思います。
サッカーW杯の三苫の1秒も本能だと思います。
小生もどんなに酔っぱらってベロベロ状態でも、間違いながらも何とか電車を乗り継いで家に帰っています。翌朝起きてどうやって帰ってきたのか全く記憶がありませんが、、これも本能だと思います。(変な例ですいません!)
このように、人は生きていくうえで 動物の血は必要だと思いますが、それだけだと熱くなりすぎて試合も喧嘩になってしまうので、理性の血でコントロールすることが必要です。
すなわち、反応型人間ではなく、自立型人間にならなければいけません。
そして 世界の指導者たちは、真の自立型人間を目指して、お互いの価値観を共有し、過去の経験・実績、感受性より優先することが必要になってくると思います。