禅に、「前後際断」という禅語があります。

「前際(過去)と後際(未来)は断ち切れている」という意味です。

更にわかりやすく言うと、「一瞬一瞬が絶対的な存在であり、
「過去」「現在」「未来」は続いているものではなく、
それぞれ独立しているもの」ということです。

したがって、「過去はどうあがいても変えられず、
未来がどうなるか恐れてもしかたがない。
とにかく“今”に最善を尽くすべきだ」という考え方です。

この言葉は、5年前、坐禅に興味を持ち始めた頃に知りました。

当時、小生は、
自分のやってしまったこと(過去)にいつまでもくよくよ悩み、
今やらなければいけないこと今しかできないこと(現在)から
逃げてしまい、
これから先のこと(未来)が不安で目を逸らせてしまうと
という状態でした。

よって、この「前後際断」には、ほんと救われました。

そして、時が経ち、禅を勉強し続けている現在は、
基本は「前後際断」ですが、自分の考えは+αされています。

「過去は、どうあがいても変えられない」けれど、そこで得た
知識や経験や思い出は、レベルアップしたり再発防止をしたり
良き思い出に清浄化したりして、「現在」「未来」に繋げられる。

「未来がどうなるか恐れてもしかたがない。」けれでも、
今「現在」で夢や希望を持って、努力して少しでも
素晴らしいものにすることはできる。

と思うようになりました。

つまり、「過去」「現在」「未来」は、連続する部分もあり、
決して独立でない部分もあると思うのです。

まさしく、今般、そう思える出来事がありました。

50年ぶりに小中学校時代の同級生に再会したのです。

11月6日(土)、サトシ(当時のあだ名 左)とまっしん(当時のあだ名 真ん中)と きみ(当時のあだ名 右) は、静岡藤枝のサトシの家で再会しました。

なんと、葛飾区立本田中学校を卒業して50年ぶりなんですよ。クラスは皆別々でしたが、柔道部でいっしょに同じ釜の飯を食べた間柄です。

サトシが中学校時代の写真を編集してテレビに写してくれて、それを肴に時間はあっという間に夜中の12時を過ぎてしまいました。

再会して、1分と経たないうちに 「過去」「現在」「未来」はまったく感じられず、お互いの顔を見るといい歳のおっさんですが、雰囲気は15歳の中学三年生同士です。

過去:中学の頃の思い出話、現在:今の生活の様子、未来:夢や困りごと・・・

全ての話が、 「過去」「現在」「未来」 の境もなく、自然に流れていきました。

ほんと、こんなことがあるんだなと帰りの電車の中で中央アルプスや南アルプスの山々を   見ながらつくづく思いました。

今回の50年ぶりの再会は、小生の「過去」「現在」「未来」の概念を
もう一度見直すたいへん良い機会となりました。

更に、「過去」は自分にとって、とても大事な宝物であることを
改めて認識することができたのです。

 

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