12月2日(土)大月歴史研究会・小山田信茂公顕彰会の定例行事の一つである史跡巡りが実施されました。

今回は、地元大月の初狩・笹子地区史跡巡りです。

コース
8時35分富士急バスで大月駅から笹子新田終点まで。そこから徒歩で矢立の杉、股徒歩で笹子黒野田本陣まで。ここで本陣見学と昼食。笹子駅から初狩駅まで電車で移動して信茂公首塚へ。
再びバスで大月駅で解散。有志は超中華料理屋の南京で反省会。


さて、朝、子供の遠足の如く、興奮して4時30分起き。

ツイッター、ブログ、メールの定例作業を早めに切り上げ、本ブログの執筆実施。

夜は酔っぱらって帰ってくるためできるだけの準備は終えておきたい。
よって.今日は朝ブログを書いた通りの行動が必要です(笑)。

バスに乗り、笹子新田へ。

1.明治天皇行幸時の野点跡

2.矢立の杉

戦国時代、合戦に赴く武士がこの杉に矢を射立て戦勝を祈願したと伝えられる、
樹齢1000年とも言われる杉の巨木です。
甲斐国誌や甲斐叢記などの古書にも記され、葛飾北斎や二代目歌川広重など
の絵にも描かれており、古くから有名な木と知られております。
近くには歌手の杉良太郎氏が寄贈した「身代わり両面地蔵菩薩」や
「矢立ての杉」の歌碑、ゼンマイ式音声ガイドもあります。

3.黒野田宿 本陣

今もなお現役の本陣が残る宿場町
江戸方面から見て阿弥陀海道宿の次の宿場で、東側の白野宿、阿弥陀海道宿と
共に1か月の宿継の業務を交代して担う「合宿(あいしゅく)」でした。
そのなかで黒野田宿は、1~15日を担当しており、本陣1軒に脇本陣1軒、
旅籠は14軒と3宿の中では比較的大きな宿場町でした。
笹子峠を越えるにあたって最後の宿場であったため、旅籠の数も多く、
賑わっていたと言われています。
現存する黒野田宿本陣には、門構えや出桁造り(だしげたづくり)から、
昔の面影がみられます。また、明治天皇行幸の際には、休憩所や宿泊所として使用されました。
現在は民泊としての利用が可能です。
女御主人に本陣中を案内していただきました。

4.小山田信繁公首塚

1582年3月、武田勝頼が自刃し武田家が滅亡した際に、小山田信茂は
甲斐善光寺で切腹となります。
そして遺体は甲斐善光寺の北に葬られました。
小山田信茂の従者が首を持ち帰り詳雲山瑞龍庵(随龍庵)の住職が
ここに葬ったとされます。

いやあ、史跡巡りしましたな。
ちょいとくたびれモードでバスの中。

そして、今日もメインイベント(?)の南京へ。

すっかりお友達モードになったマスターと女将さんがお出迎え。

野菜うま煮とえびうま煮と水餃子とビールで乾杯!

生き返った!

その後、日本酒の熱燗、何本飲んだだろう?
会長、小生ベロベロ!

たいへん良いお酒でござんした。

そして、今宵は更けていきましたとさ。

 

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