12月7日(日)、大月短大にて、市民講座・小山田信茂公顕彰会による講演「武田家最後の十一日間」が行われました。
多くの方に聴講をいただき、歴史的検証により大月のお殿様・小山田信茂公は武田家を裏切っていないことを理解していただけました。

顕彰会の顧問である武田家旧温会理事松本先生による講演の概要は以下となります。
『史料と自身の研究に基づき、武田勝頼公の最期となる「武田家最後の十一日間」を再構成したものです 。
『甲陽軍鑑』や『理慶尼記』等の史料を精査し、定説とされる小山田信茂の「裏切り」に新解釈を加えています 。
信茂による木戸封鎖は単なる離反ではなく、勝頼公が自決を決意した上で、郡内領民を守るために信茂に託した行動であった可能性を指摘しています 。
また、勝頼公が自身の幼子や松姫、家臣の妻子らを大月方面へ逃がした「土屋惣蔵妻子の逃走」や「芍薬塚」の逸話を挙げ 、極限状態における主従や家族の絆、「友愛」の存在を強調しています 。
勝頼公の人間味と、彼を取り巻く人々の情愛に焦点を当てた歴史考察です 。』
そして、最後にまとめとして、最新AIで作成した動画を見ていただきました。
講演会後にいただいた参加者の方のコメントを紹介します。
昨日は素晴らしい研究現地調査推測の方法などを教えていただきありがとうございました😊
今日の市民公開講座は、小山田信茂公顕彰会顧問松本憲和氏による「武田家最後の十一日間」を講演いただきました😊
松本先生の講演と最後にAIでのまとめがありわかりやすくて良かったです(^^)
顕彰会の皆さんの連携プレーが素晴らしい!
「歴史は勝者の記憶」で創られていた!
史実と権力者の都合は異なることもあるんですね。
小生のコメント
歴史は、いろいろな人の生きざまを教えてくれる。
歴史を学ぶことは、人生を考えること。
歴史はロマンだ。
やはり、これに尽きると改めて思いました。

それを今回の講演会に当てはめてみます。
「歴史は、いろいろな人の生きざまを教えてくれる」
今回の講演で特に心を打つのは、勝頼公の周囲にいた人々の、極限状態における「生きざま」です。 例えば、小宮山内膳です。彼は勝頼公に嫌われていたにも関わらず、最期に「勝頼公の死に殉じるため」に、わざわざ家族を連れて大月から死地である田野へ向かいました。 また、小山田八左衛門が武器を持たずに単身で勝頼公を訪ね、殉死を願い出た姿。 彼らの行動は、単なる忠義を超えた、人間としての矜持や覚悟という「生きざま」を強烈に教えてくれます。
「歴史を学ぶことは、人生を考えること」
「もし自分がその場にいたら、どう決断するか?」を問いかけられるのが歴史の醍醐味ですが、今回の小山田信茂公の新解釈は、まさに人生の重い決断について考えさせられます。 定説では「裏切り」とされる木戸の封鎖や発砲ですが、松本先生の新説によれば、それは「郡内領民の命と財産を守るため」であり、さらには「勝頼公の『家臣には生き延びてほしい』という思い」を受けた上での、苦渋の決断だったとされています。 「裏切り者の汚名を甘んじて受ける覚悟」をしてまで守りたかったものに思いを馳せるとき、私たちは人生における「守るべきもの」や「自己犠牲」の意味を深く考えさせられます。
「歴史はロマンだ」
そして何より、史料の行間から浮かび上がる「ロマン」です。 芍薬塚(しゃくやくづか)**の伝説に対する新解釈は、涙なしには読めません。勝頼公の2歳の幼児が実は生き延びていたのではないかという推理、そして「芍薬」が当時の中国で「別れの際に贈る花」であったことから、母(北条夫人)と子の今生の別れの形見であったとする解釈。 滅びゆく中にも、確かに存在した親子の情愛や、松姫や家臣の妻子を逃がそうとした「友愛」の絆。これこそが、単なる事実の羅列ではない、歴史が持つ最高の「ロマン」だと感じました。
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