11月29日(土)、小生が所属する大月小山田信茂公顕彰会の主催にて「高遠城址史跡巡りバスの旅 松姫様の東下に思いを馳せて」が実施されました。
前回のブログでも触れました通り、今回の旅に際して小生、それはもう学生時代にもしなかったほど綿密に予習を行いました。
松姫様の出自から、高遠城の地政学的価値、そしてあの悲劇的な脱出劇に至るまで、頭の中に歴史の地図を広げて臨んだのです。
おかげで、400年前の物語を語りかけてくるようで、実に充実した本番となりました。
…と、真面目な報告はここまでにして。
実はですね、
ちょっちゅ白状しますと、行きのバスの中からウイスキーのポケット瓶を「プシュッ」とやってしまいまして。さらに昼食時には、信州の美味い空気と料理に誘われ、ビールをしこたま煽ってしまったのです。
結果、超ご機嫌な「中ベロの歴史探訪家」として、皆様と楽しい時間を共有させていただきました。
しかし、酔いが回って心が解き放たれたからこそ、見えてきたものがあります。
今回、小生が最も心を注いだのは、「松姫様がどのような思いで、この高遠城を脱出したのか」ということです。

現地に立ち、「伊那の浮城」と称される高遠城の、あの断崖を見下ろした時、予習した知識が鮮烈な「感情」となって押し寄せてきました。 ここは単なる軍事拠点ではありませんでした。松姫様にとって、最愛の兄・仁科盛信公に守られた、安息の聖域だったのです。しかし、運命とはなんと残酷なことか。その聖域を攻め滅ぼそうと迫り来る総大将は、かつて将来を誓い合った許嫁、織田信忠その人でした。
「愛する兄を守るか、愛した男を受け入れるか」 そのような単純な二元論では語れない、身を引き裂かれるような慟哭が、この谷間に渦巻いていたはずです。
酔眼を通して見る高遠の山々は、美しくも険しく、当時の厳しさを無言で訴えてきます。 天正10年、落城寸前の城から、松姫様は兄・盛信公の忘れ形見である幼い小督姫たちを連れ、決死の脱出を敢行されました。当時、彼女はまだ22歳。今の時代なら、恋やおしゃれに夢中であってもおかしくない若さです。 しかし彼女は、泣き崩れることなく、武田の血を、兄の命を未来へ繋ぐために、母代わりとなってこの険しい道を歩き出したのです。
背後で燃え落ちる城、愛する兄の壮絶な最期、そして迫りくるかつての恋人の軍勢。 小生、ほろ酔いの頭でその光景を幻視し、胸が張り裂けんばかりになりました。歴史の教科書に出てくる「松姫」という記号ではなく、一人の生身の女性としての体温と、その悲しみの深さが、痛いほど伝わってきたのでした。
これまでは「武田家の悲劇の姫君」という認識でしたが、今回の旅を終え、その思いは変わりました。 彼女はただ悲劇に翻弄されただけではない。愛する者たちの命を背負い、強靭な意志で乱世を生き抜いた、気高く、そして誰よりも愛情深い女性だったのです。

帰りのバスに揺られながら、小生は思いました。 「ああ、松姫様が愛おしい」と。
高遠の地で感じた風の冷たさと、松姫様の熱い想い。
小生、久びさに感動の余韻が残る旅をしてきました。
皆さん、是非松姫様を覚えておいてくださいね。
◆お願い (お手数お掛けします) ブログを読まれた方は下記2つのボタンを順番にクリックをお願いします。 クリックしてアクセスするだけで点数が入り(投票され)順位が上がります。 アクセス後は何もせず、本ブログに戻ってきてください。
