私事ですが、高遠城についてほとんど知識がございませんのでこのブログをお借りして予習させていただきます。

皆さんも御一緒に、歴史のロマンを味わってください。

  1. 高遠城について
    高遠城は、長野県伊那市高遠町に位置した城で、別名を「兜山城(かぶとやまじょう)」とも呼びます 1。
    ● 戦略的拠点: 甲斐の武田信玄が信濃進出の拠点として、山本勘助や秋山虎繁(信友)に命じて大規模な改築を行わせたことで知られます 2。
    ● 桜の名所: 現在はタカトオコヒガンザクラの名所として有名で、国の史跡にも指定されています 3。
  1. 高遠城に関連する主な人物
    【武田家の人々】
    ● 武田勝頼(たけだ かつより)
    ○ 武田信玄の四男。母は諏訪頼重の娘(諏訪御料人)です 4。
    ○ 1562年(永禄5年)に諏訪氏を継ぎ、高遠城主となりました 5555。
    後に武田家の当主となりますが、織田・徳川軍の侵攻を受け、天目山で自害しました 6666。

● 仁科五郎盛信(にしな ごろう もりのぶ)
○ 武田信玄の五男で、勝頼の異母弟です。
○ 勝頼が新府城へ移った後、高遠城主を兼任しました 7。
1582年(天正10年)、織田信忠(信長の長男)率いる3万の大軍に攻められましたが、降伏勧告を拒否し、約3千の兵と共に壮絶な戦死を遂げました 8。この戦いで高遠城は落城し、武田家滅亡の決定的な転機となりました 9。

● 松姫(まつひめ)/信松尼(しんしょうに)
○ 武田信玄の娘(仁科盛信の妹)です。
○ 兄の盛信を頼って高遠城に身を寄せていましたが、織田軍の侵攻が予想されたため、盛信の娘(篤姫)らを連れて新府城へ移動しました 10。
○ その後、勝頼の娘(貞姫)、小山田信茂の孫娘(香具姫)を加えた3人の姫を守りながら、甲斐から八王子へと逃避行を行いました 11。
○ 八王子では「心照庵(後の信松院)」に入り、武田家の菩提を弔いながら姫たちを育てました 12121212。

【江戸時代の人物】
● 保科正之(ほしな まさゆき)
○ 徳川2代将軍・秀忠の息子(「お静」の子)ですが、正妻(お江)を憚って秘密裏に育てられました [別紙高遠城説明書]。
○ 武田信玄の娘である「見性院」や「信松尼(松姫)」の手助けにより養育され、後に高遠藩主・保科正光の養子となりました [別紙高遠城説明書]。
○ 後に会津松平家の祖となり、名君として知られるようになります [別紙高遠城説明書]。
● 絵島(えじま)

○ 江戸時代中期(1714年)の大奥スキャンダル「絵島生島事件」の中心人物です 13。
○ 歌舞伎役者・生島新五郎との遊興が問題視され、死罪になりかけましたが、減刑されて高遠藩への「永のお預け(終身流罪)」となりました 14。
○ 高遠の地で27年間幽閉生活を送り、その生涯を閉じました 15。

【歴代城主の変遷】
戦国時代から江戸時代にかけて、以下のように支配者が変わりました。

  1. 武田氏時代: 秋山信友、武田勝頼、武田信廉、仁科盛信など [別紙高遠城説明書]。
  2. 保科氏: 保科正直、保科正光、保科正之など [別紙高遠城説明書]。
  3. 鳥居氏: 鳥居忠春 [別紙高遠城説明書]。
  4. 内藤氏: 内藤清牧から内藤頼直まで8代にわたり統治し、明治維新を迎えました [別紙高遠城説明書]。

 

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