本物語は、半ノンフィクションです。
ここは山梨県大月市浅利の里。小生がこの地に居を構えてから、早いもので34年の月日が流れました。
今朝もいつものように、朝の心地よい空気の中で浅利の里を歩いていた時のことです。田んぼの畔道で、腰を深く曲げながらも、見事な手際で草を刈る地元の「じっちゃん(82歳)」と「ばっちゃん(79歳)」に出会いました。
小生が「おはようございます! 相変わらず見事な手際ですね」と声をかけると、二人はクワを止め、汗を拭いながら満面の笑みを浮かべてくれました。そこから始まった、何気ない、しかし小生の胸を激しく揺さぶる会話をここに記録しておきたいと思います。

浅利の里の畔道にて
小生:
「それにしても、この暑さの中でそれだけの野良仕事を毎日続けられるなんて、本当に頭が下がります。小生など、大月に来て34年になりますが、お二人の足元にも及びません」
じっちゃん:
「ほうけぇ? おんら(俺たち)にしてみりゃあ、こんなん日常の茶飯事だ。何がすごいちゅうこっちゃねえよ。おまさん(お前さん)もここに34年もいるじゃんけ。一人前になったと思うちょっちゃあいかんじゃん(笑)。まだまだひよっこだ、こぴっとしろ(しっかりしろし)!」
小生:
「ははは、やはりお二人から見れば、小生などまだまだ『ひよっこ』ですね。でも、毎日これだけの作業を続けるためのモチベーションというか、元気の源はどこにあるのですか?」
ばっちゃん:
「モチベーション? また難しいカタカナを使うじゃんねぇ(笑)。そんな大層なもんはありゃあせんよ。おんらは、朝起きて、お天道様が昇ったら畑に出て、お天道様が沈んだら寝る。ただそれだけのことを、ずーーっち(ずっと)繰り返してきただけだ。若い頃はな、冷害で米がとれん年もあったし、台風で家が吹き飛びそうになったこともあったじゃん。それでもな、『腹が減るから食う、生きにゃならんから働く』、それだけで乗り越えてきただ。難しい理屈なんか、考えたこともねえじゃん」
小生:
「ただそれだけ、ですか……。世の中には、生き方に関する哲学書や宗教の本がたくさん溢れています。どう生きるべきか、何のために生きるのかと、みんな頭を抱えて悩んでいますよね。しかし、お二人の言葉を聞いていると、そうした小難しい理屈が本当にちっぽけに思えてきます」
じっちゃん:
「てつがく? しゅうきょう? そんなもんは、おんらの辞書にゃあねえ(笑)。だいたい、悩んでる暇があったら、目の前の土をいじれし。土は嘘をつかんじゃん。おんらが若けぇ頃、親から言われたのはな、『生きてるんじゃねえ、生かされてるんだから、その一日を精一杯全うしろし』っちゅうことだけだ。体が動くうちは、動かす。お天道様と大月の自然の恵みに感謝して、ただ生きていくだけだ。それ以上に、何を知る必要があるちゅうねん?」
小生:
「『生かされているから、一日を全うする』。本当に深い言葉ですね。私たちはどうしても、何か特別な意味や成果、あるいは効率や生産性といった言葉を求めてしまいがちですが、お二人の前ではそうした言葉がすべて色あせてしまいます。ただ今日を懸命に生きること自体が、何より尊いことなのだと気付かされます」
ばっちゃん:
「そうだじ。人間、賢くなりすぎると、かえって足元が見えんくなるじゃん。おんら、学問はねえけんど、この大月の山と川が全部教えてくれただ。つらいことがあってもな、春になれば桜が咲いて、夏にゃあ緑が濃くなって、秋にゃあ実がなる。冬をじっと耐えれば、必ずまた春が来るじゃん。人間も同じだ。ただ、その季節(とき)の巡りに合わせて、じっと生きていきゃあいいんだよ。それが『生きる』っちゅうことだ。簡単なことじゃんけ」
小生:
「なるほど……。お二人は高名な哲学者の言葉を引用するわけでも、聖書の言葉を唱えるわけでもありません。しかし、ただ『この大月で、自然と共に、何十年も泥にまみれて生きてきた』という揺るぎない事実。それだけで、お二人の言葉の一言一言に、魂を震わせるような重みと凄みが宿っています。これこそが、人間の『生きる力』の本質ですね」
じっちゃん:
「そうそう。おまさんもな、色々難しいお仕事をしてるずら? だけどな、最後は体が資本だ。飯をしっかり食って、よく寝て、明日もまた笑って畑に立つ。それ以上の幸せなんて、この世にありゃあせんじゃん。おんらみたいな無学な年寄りの話だけどな、これが真実だじ」
小生:
「いえ、無学だなんてとんでもありません。どんな本を読むよりも、お二人の生き様そのものが深く心に染み渡ります。理屈抜きに『この人たち、本当にすごいな、かっこいいな』と心から思わされます。浅利の里に暮らして34年になりますが、小生は日々、お二人のような『無名の達人』たちに囲まれ、教えられ、生かされているのだと実感します」
ばっちゃん:
「おまさんも、すっかり浅利の人間だじゃん。これからも一緒に、この土地で元気に生きていこうじゃんけ」
小生:
「ありがとうございます。小生も、お二人のように、年齢や経験を重ねるほどに、理屈抜きで人を感動させられるような、深みのある人間になりたいです。ただ静かに、しかし力強く生きてきた背中で、何かを語れる男になりたいと、心の底から強く思いました。今日はお二人にお会いできて、本当に良かったです!」
浅利の里の風に吹かれて
じっちゃんとばっちゃんの言葉は、バリバリの山梨弁でありながら、まるで大自然そのものが語りかけてくるかのような、圧倒的な説得力を持っていました。
「腹が減るから食う、生きにゃならんから働く。生かされていることに感謝して、一日を全うする」
この極限までにシンプルな生命の営みの中に、あらゆる哲学を凌駕する「真理」があるのだと、小生は確信せざるを得ませんでした。
皆さんの周りにも、教科書には載っていないけれど、ただ生きているだけで周囲を照らすような、そんな「無名の達人」はいませんか?
浅利の里の清々しい風を受けながら、小生は今日も、一歩一歩、地に足を据えて歩みを進めていきます。
ん~ん 今回は、我ながら、良い話じゃったの~!
◆お願い (お手数お掛けします) ブログを読まれた方は下記2つのボタンを順番にクリックをお願いします。 クリックしてアクセスするだけで点数が入り(投票され)順位が上がります。 アクセス後は何もせず、本ブログに戻ってきてください。

人はつい「意味」や「成果」を求めてしまいますが、じっちゃんとばっちゃんの姿を見ていると、意味は “探すもの” ではなく “滲み出るもの” なのだと気付かされます。
「生きてるんじゃねえ、生かされてるんだ」という一言が、胸の奥に響きますね!
小生もこんなふうに背中で語れるじっちゃんに、少しずつ近づきたいと思いましたが…今となっては無理なので、この“無名の達人” を想いながら、自分らしく生きていきたいと思います。