昨日のブログで航空機オスプレイの話をしました。

そこでオスプレイは危険では無いというお話しをしました。
現代人の一部は、普段技術から非常に恩恵を受けているのに、
何故、ちょっと何かあるとすぐ技術を目の敵(かたき)にするのでしょう。

小生は原因として大きく2つあると思います。

1つは、技術が完全に確立されていないのに製品化されてしまうこと。
特に強度耐久性が十分保証されなていないこと。
これは、責任は技術にあり、目の敵にされてもしょうがないと思います。
詳細までの根本原因の追求と詳細の再発防止が必要です。

もう1つは、もっと大きな話で技術自身の生まれまで遡る話であります。
今回のブログの主題であります。

これから紹介するお話は、ある雑誌に記載されていたものを
折乃笠風にアレンジしたものです。
非常に納得できる素晴らしい話で、まさしくこのような話を
中学校や高校ですると、日本はもっと良い国になると思いました。

『科学の本質は、命や宇宙の真理に一歩でも近づこうとするものである。
その過程で万有引力の法則が見つかったり、相対性理が考え出された。
一方、技術とは科学で見つかった法則や理論を実生活に役立てるべく
実用化するものである。
科学はあくまでも基礎研究であり、技術は実用性を求めるものである。
科学と技術には密接な繋がりがあるが、同じではない。
にも拘らず、いまの世の中は「科学技術」という言い方に象徴されるように
一緒にされてしまい、実用性のある技術だけか重視される傾向にある。

その弊害は様々なところで出てきている。
現在、命の本質を求めて遺伝子を解読するところまで漕ぎ着けた。
それが人類のモラルという視点からの検証を経ずに、すぐに技術と結びついて
しまうシーンもまた数多くある。
家畜を改良したり、医薬品をつくったり、科学の発見が人間の欲望を満たす
手段に利用されてしまうことも少なくない。
人間が欲望のままに科学的な成果を使うと、必ずどこかで破綻が起きる。
原子力に関しても同じことがいえる。しっかりとした検証もせずに、
分かったことをすぐに技術に繋げて実用化していいものか。
それが原子爆弾を、さらには原子力発電を誕生させた。そして原
爆投下の悲劇を招き、あるいは原発事故へと繋がった。

こんなことが起こる前に、どこかでブレーキを掛ける必要があったし、
事故が起きても被害が出ないような対策を、科学と技術が協
力して確立しておく必要があっただろう。』

皆さん、如何でしたでしょうか?

最後、オスプレイの話から、だいぶかけ離れてしまいましたが、
”技術”というのは、純粋なエンジニアリングだけでなく、
いろいろな要素からできている非常に奥深く幅広いものですね。

今後、このような話を頭に入れておくと世の中の動きが
より見えてくる気がします。

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