小生、禅は、”人は如何に生きるべきか”を深く考え実行するための
ヒントを与えてくれる非常に有効な手段であると思っている。
それを少しでも自分のものにするために本講座に参加している。
第四回目は、仏教の核の部分と思われる議題であった。
『苦しみはどこから生まれるのか
本当の自分の生き方を考え抜くためには、私たちが目指す方向、理想のあり方と同時に、
苦しみの問題にしっかりと向き合わなければならない。苦しみの根源はどこにあるのか、
苦しみに対してどのように向き合うべきなのか、そして、どのようにして心の安心を
目指すべきなのか筋道を考える。』
講義の内容をより自分のものにするために自分の言葉で要約した。
・お釈迦様は“ 楽医王” である。つまり、皆の心の苦しみを適切な処方箋で癒してくれる。
・人生は苦難に満ちている。その苦難を分析し、組合わせを解して、ひとつひとつの苦しみを
見極めて、対処していくことが大切である。
・自分の人生を肯定できなければ、人生は苦が増すだけである。
・無常を苦として捉えず、おおきな学びと捉えると,自分の人生を豊かにすることができる。
お釈迦様は対処法はあまり言っていないという。
というより、決まった対処法というものはないという。
『禅宗は「自分で考えろという宗派。
定義というものはないから、そういうところから始めなくてはならない。』
と古川老大師はおっしゃる。
今回、講義に参加して、分からないから思考を停止するのでなく、
更にいろいろなアプローチで考え続ける事が大切であるという観点から
小生の持ち前の楽観的、超前向きな考えがさく裂した。
ただし、苦難を自分なりに送別して、全てにおいて乗り切れるかを想定してみた。
小生、今まで経験してきた苦難(悲しみ)は想定内で何とかなると考えた。
更に考えた。
もし、東野圭吾の小説”さまよう刃”のような3σ(99、7%外)の想定外の
苦難が自分に起きたとしたら、果たして自分は乗り切れるのか?
全く自信がない。
まだまだ修行は果てしない。
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『苦しみはどこから生まれるのか?・・・』
これまで真剣に考えたことはなかったけど、これを機会にこれまでの経験から少し考えてみた。
人間は誰もが、苦しみ(嫌なこと)を持っており、我慢したり、自力あるいは廻りの力をかりて、一つ一つ解決しながら前へと成長している。
苦しみを分類すると、『自責の苦しみ』と『他責の苦しみ』に分けられると思う。
自責の苦しみは、例えば物事に対する判断などにおいて、これまでの経験や実績だけに頼って即反応しミスを引き起こして、周りに迷惑を掛けてしまうこと。その根源は『心のゆるみ、おごり』だと思う。
物事を判断する場合は、即反応するのではなく一旦受け止めて、その時々の価値観を経験や実績より優先すること。つまり、自立型人間を目指すことだと考えている。
次に他責の苦しみは、自分を取り巻く空間の中で起きるさまざまな苦しみであり、避けては通れない苦しみである。想定内であれば、あらかじめ解決策を考えていれば乗り越えられると思う。いわゆるリスク管理である。
しかし、想定外の苦しみについては、小生もいまの状態では乗り切れるかは?自信がない。
一つ言えることは、『自分らしさ』を忘れず、苦しみに向き合って失敗を恐れず、前進することだ確信している。