昨日、地元山梨大月浅利地区、神田神社のしめ縄作りが実施されました。
小生、初めての経験で、改めて歴史のロマンを感じました。
そもそも、しめ縄の意味や由来などは全く知らず、ただ藁をひたすら
編んでいるという感じでした。
そういえば今は昔、山梨の歴史探索の旅で、長野の諏訪大社を訪れた時、
あまりにも大きなしめ縄に度肝を抜かれたことがあります。
それでは、しめ縄について語っていきたいと思います。
1.しめ縄の意味と由来
『お正月は「現世にやってきた年神様をおもてなしする行事」です。
神様を迎えて祭る場所は、神聖な場所に整える必要があります。
しめ縄は神の領域と現世を分け隔てる「結界」として、
不純なものが入るのを防ぐという役目を担うものです。
しめ縄の由来は、古事記に書かれた天照大神(アマテラスオオミカミ)
の神話だと言い伝えられています。
その昔、岩戸にこもった天照大神を神々が連れ出した際「もう岩戸に
入らないように」と岩戸にしめ縄をつけたそうです。』
なるほど、恥ずかしながら初めて知りました。
そんな神々しいものとは知らず、冗談を言って笑いながら作ってしまいました。
さて、次に、我ら神田神社と諏訪大社のしめ縄を比較しながら、更にしめ縄の
理解を深めていきたいと思います。
2.大月神田神社
1)神田神社概要
甲斐国志に御岳権現浅利村、本村産神とあり、また慶応4年の社記には祭神大己貴命、少彦名命、素盞鳴命(御岳社)とある。
2)しめ縄作り
毎年12月に実施します。町内会のお祭りの役員が中心になって作ります。
町内会で作った稲の藁で、手作業でより合わせていきます。
しめ縄の大きさ
重さ : 約5キロ
長さ : 1.8m
太さ : 0.25mメートル
午前9時に始まった作業が終わったのは午前10時30分頃です。
3.諏訪大社
1)諏訪大社概要
信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社であり、日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれている。
2)しめ縄作り
7年に1度行われる御柱祭の前の年だけに大きなしめ縄が新しく取り替えられます。
およそ50人が運び込まれた2本の新しい太い綱をクレーン車を使いながらより合わせていきます。
しめ縄の大きさ
重さ : 約800キロ
長さ : 7.5m
太さ : 1.4mメートル
午前8時に始まった作業が終わったのは午後7時頃です。
4.大月神田神社と諏訪大社の結びつき (折乃笠作)
武田勝頼は、新府城からの逃亡時、笹子峠の手前で、大月岩殿城城士小山田信茂の
謀反(?)により、岩殿城に行くことを断念。
祖先信満のねむる天目山棲雲寺にむかったが、織田徳川軍にはばまれ田野の地に引き返した。
3月11日、清和源氏の流れをくむ、新羅三郎義光より21代、500年に及ぶ
名門武田家は敵軍の包囲の中、この田野において一族自刃という悲劇な終りをとげた。
一説によれば、小山田信茂の謀反ではなく、田野→天目山→大月浅利(神田神社在)の
ルートで、岩殿城へ向かうはずだったという。
諏訪大社は、勝頼の生まれ故郷である。
源頼朝、武田信玄及び勝頼など多くの武将の信仰が厚かった。
折乃笠が訪れた時、下社秋宮は拝殿には巨大なしめ縄がかかっており賑やかな雰囲気を
かもし出していた。
いずれにしても、重厚な木造の建物は深い歴史を偲ばせた。
諏訪家の宮家としての伝統、諏訪頼重の無念、諏訪御寮人の神秘さ、
勝頼の人間性が創造できる諏訪地方の全てを凝縮している神社であると
思われた。
大月神田神社と諏訪大社は、武田勝頼のしめ縄によって、結ばれていたのである(?)
5.まとめ
「しめ縄」によるロマン。
歴史はロマンだ。
皆さん、如何でしたか?
来年、お正月1月1日朝8時、神田神社集合。
しめ縄を見上げながら、お神酒を少々(それは無理)いただく予定です。
◆お願い (お手数お掛けします) ブログを読まれた方は下記2つのボタンを順番にクリックをお願いします。 クリックしてアクセスするだけで点数が入り(投票され)順位が上がります。 アクセス後は何もせず、本ブログに戻ってきてくださいね