皆さん、こんにちは。

今回は、「世界一過酷なモータースポーツ競技」ダカールラリーの紹介その5です。

本ブログでは、2022年1月のレースが終わるまで、1回/週のペースで
「ダカールラリー」のいろいろを皆さんに紹介していきたいと思います。

その目的は、以下を紹介しながら、「人間らしく生きる」を考えていきたいと思っています。
 1.ダカールラリーの素晴らしさ
 2.日野チーム菅原の凄さ
 3.菅原照仁さん、折乃笠が過去何をやってきたか
 4.ダカールラリーの2021年~2022年の最新ニュース
 5.近い将来制作のドキュメント小説『哲人 菅原照仁』のために

今回は、上記4.最新ニュースと上記2.菅原さんのお父様・義正さんと息子・照仁さん
の凄さ
を紹介致します。

この話で、皆さんが元気になっていただければ幸いです。

 

1.2021年12月7日現在の最新ニュース

『HINO 600シリーズHYBRIDおよび、サポートトラックZS1、ZS2の通関が終わり、サウジアラビア、ジェッダの地へ威風堂々と降り立ちました。
ダカールラリーの前に行われるHail Toyota International Rally 2021に参戦するべく、ジェッダからハイルへ約850kmの道のりを移動します。
あまり見ることの出来ない、長距離移動前の給油の様子をご覧ください。』

サウジアラビアとはいえ、ラリー車が一般道で走ってきたら一般の人は
びっくりするでしょうね。
ラリー車を良く観ると、ド派手な素晴らしい姿とカラーリングですね。

Hail Toyota International Rally 2021は、現地で行われる前哨戦ですかね。

 

2.菅原義正さんの凄さ

『1941年生まれ。二輪、四輪のレースを多数経験後、’83年に二輪でパリダカ初参戦。
その後、四輪でのパリダカ完走の経験を経て’92年より日野レンジャーでトラック部門
に参戦する。

クラス優勝7回、部門総合準優勝6回を果たし、2019年4月現在、前人未到の連続完走20回
及び連続出場記録36回の記録をもつ(両記録ともギネスの世界記録に認定)。
現役ドライバーとして活躍し続ける一方、競技者としてだけではなく、ラリー文化の普及や
国際交流、後進育成などにも力を入れている。

2019年4月23日にダカール・ラリーからの引退並びにチームスガワラ代表を退く事を発表。
チームスガワラの後任代表には、次男の照仁が就任した。

しかしレーシングドライバーとして引退したわけではなく2020年から
『Equip SUGAWARA』を設立して、ヤマハのSSVであるYXZ 1000Rアフリカ
エコレースに参戦するとしている。』

今年恩歳、80歳!
未だに、1000ccのバイクに跨りアフリカの大地を走っているのです。

小生が義正さんと初めて面と向かってお話したのが、2009年4月です。
小生がダカールラリー担当になって初めてのことでした。
(その前から、遠くからは拝見しておりました。)

お互いに第一印象は良くなかったと思います。

一言で言うと、頑固じじいと口先男。
間に入った照仁さんは、さぞたいへんだったでしょうね。

ダカールラリー出場でギネスの世界記録をお持ちの方です。
人生訓は半端ではありません。
人間学月刊誌「致知」に載るぐらいですから。

時間が経つにつれ、小生、段々に義正さんのおっしゃっていることが理解できるようになり
そんなある日、義正さんの一言がありました。
「車と我々ドライバーは一体だ。苛酷な走行では 我々が路面と車の間のダンパーになる。
 だから、車両限界に近い性能を出す車にしてくれ。」

実は、小生が担当して初めてのレース後、アルゼンチンブエノスアイレスの
飲み屋に2人で行きましてね。
3時間、2人で語り合うことができました。
義正さんの深い人間味と情に触れることができました。
3時間の内、80%は助平な話でしたが、義正さんは何か自分と波長が似ている所が多々あり、
本当うれしくなってしまいました。
また、3時間ビールを飲み続ける体力にはびっくりしました。

そして、その後2年間、いろいろな面で御指導をいただきました。

 

3.菅原 照仁さんの凄さ

『チーム代表 兼 1号車ドライバー
日本レーシングマネージメント(株)代表取締役
1972年7月13日生まれ、東京都港区出身
「ダカール・ラリーの鉄人」菅原義正氏の次男
1998年のダカール・ラリーにメカニックとして初参戦し、
翌年からは父・義正氏のナビゲーターを担当。
同時に国内オフロードレースやラリーモンゴリアなどで経験を重ね、
2003年のファラオラリー(エジプト)では日野レンジャーを
駆ってトラック部門総合優勝を飾った。
ダカール・ラリー2005年大会からは親子2代の2台体制による参戦を開始し、
2007年には排気量10リットル未満クラスで初優勝。
2020年大会で同クラス11連覇を達成した。
2019年大会を最後に父・義正氏がダカール・ラリーから勇退したことを
受けて、チーム代表に就任。』

現在、49歳。見た目はお若い!

小生が照仁さんと初めて面と向かってお話したのが、2009年4月です。
お父様とお会いした時と同じ時です。

照さんの第一印象は、無口でクールなナイスガイ!
鼻息荒いじゃじゃ馬(お父様 失礼)の陰に隠れて、じっとしている王子様と
いう感じでした。

たぶん、照さんは小生のことをやはり口先男と思ったと思います。

それでも、ほとんど毎日お会いしている内にお互いの考えがわかってきて
とても良い関係になったと思います。

今でも懐かしい思い出としてブエノスアイレスのゴールセレモニーの時のことがあります。

メカニック5人がキャブの上で旗や鯉のぼりを振っています。17日間、本当に御苦労様。
照さん、鈴木さんがキャブの中から手を振っています。
「いよ~! 日本一! 世界一!」
日野会長を初め、日野関係、応援会社関係20名以上で壇上へ駆け上がります。
照さんがシャンパンを抜こうとしています。
何故か小生の方に向いている様な・・・
瞬間、バシャ~!一瞬前が見えなくなりました。
ほとんどが顔面&胸&ズボン攻撃。
カミオン速報の写真にはびしょびしょの折乃笠が映っています。(特にズボンがびしょびしょ)
壇上、大爆笑!一番笑っているのが照。
「いっぱい、体で、飲めて、良かったじゃん!」
「あのねぇ~ ・・・ まっ いってか!」
その後、べたべた&シャンパン臭え~。
全員で記念写真。インタビュー。
大感激でありんす。
一生の内、一回、あるか、どうか?の経験でした。

そして、今は照ちゃんとは旧知の友であります。

 

4.2019年4月25日 義正 父から息子へ (日野自動車インタビュー)

『諦めるのは簡単じゃないですか。続けていく事がたいへんなんですよ。
挑戦ですよ、自分に対しての挑戦だったと思いますね。
・・・・・
ダカールラリーの魅力は、国を超えて文化を超えていくってこと
自体に魅力を感じてますからね。
あと台地にね、感謝しながら走ってないと絶対に裏切られて、穴が急にあったりして。
台地の成り立ちみたいなものを見てるとこの先に何万年前に川が流れてたなとかっていう、
その景色は見えてくるんで、ロマンががありましたよ。
競争しながらね。
・・・・・』

何か、自己実現した人の言葉のようで、神々しさを感じますね。

 

5.2020年6月17日 照仁 2020年ラリーへの意気込 (日野自動車インタビュー)

『ダカールラリー。
僕の人生の一部じゃないですけども、人生そのものっていうとこは強いです。
父の背中を見てやってきたとこもある、一緒にずっと2台で走ってきたってのは
かけがえのないものです。
この後やっていく方向というのは、ここは父に習ったと言うか、
あの築き上げてきたものを変えるつもりもないですし、
チームとしてもそこは大事にしていきたいなと思っています。
・・・・・                                  』

6.折乃笠が想う 照仁像

今、菅原照仁は、「ダカールラリーは人生そのもの」だと言う。
一見クールで現代人の菅原照仁は、知恵がすぐれ、見識高く、道理に通じた人、
すなわちラリーの「哲人」になった。

菅原照仁の目指すものは、“人間らしく生きる” ことである。

生まれた時から父親の背中を見続け、生きる手段としてダカールラリーを選択した。
本音を言ってしまえば、優勝は目指す、ただし、第一優先は “人”である。

彼は何故、ダカールラリーという世界一過酷なカー レースに挑戦し続けるのか?
いつの時点で 「ダカールラリーは人生そのもの」になったのか?  

今後、ダカールラリーを通して、哲人菅原照仁を描いていきたい。

7.まとめ

以上、ダラールラリーに携わって、多くの貴重な経験をさせていただきました。

菅原義正さん、照仁さんには、本当に感謝しています。
もちろん、これからもお付き合いをよろしくお願いします。

次回は、更に泥臭い裏話をしたいと思います。

 

◆お願い (お手数お掛けします)                                               ブログを読まれた方は下記2つのボタンを順番にクリックをお願いします。                      クリックしてアクセスするだけで点数が入り(投票され)順位が上がります。                       アクセス後は何もせず、本ブログに戻ってきてくださいね

にほんブログ村 その他生活ブログ 人生相談へ
にほんブログ村


セルフコントロールランキング