地域に息づく伝統芸能との出会い
2025年10月19日、大月文化祭の一環として、小生は笹子追分人形芝居の公演を観覧する機会に恵まれました。大月市民会館で上演されたこの公演は、大月市笹子地域が誇る指定無形民俗文化財です。武田二十四将の一人、小山田信茂ゆかりの地である笹子地域の伝統芸能として、保存会の皆さんが子どもたちとともに切磋琢磨しながら守り続けてきた、まさに地域の宝といえる文化遺産なのです。

新演目に込められた地域の誇り
今回の公演では、新たな演目「甲斐源氏信玄忠臣譚」が上演されました。この作品は、武田信玄の家臣である小山田信茂を題材としたもので、地元ゆかりの武将の物語を通じて、地域の歴史と文化を次世代に伝える内容となっています。演目は「韮崎新府城軍議の段」から「柏尾大善寺の段」へと展開し、武田家滅亡の最終局面における勝頼公の苦悩と決断、家臣たちの忠義、そして家族への深い愛情が描かれていました。

物語は、長篠の合戦で大敗した武田家が、天正10年2月、織田信長の甲州征伐を迎える場面から始まります。総勢5万の織田軍が甲斐国に迫る中、勝頼公は急ぎ韮崎新府城で軍議を開きます。完成わずか二ヶ月の新府城では織田軍を防ぎきれないと悟った勝頼公の前で、真田昌幸は西上野の吾妻城への籠城を、小山田信茂は都留の岩殿山への退却を進言します。
人形に宿る魂と太夫の熱演
公演を観覧して、小生は深い感動に包まれました。人形の繊細な動きと仕草、そして表情の豊かさは、人間以上の情感を表現していました。操る人の心が人形に乗り移り、まるで生きているかのように舞台上で息づいているのです。特に軍議の場面での勝頼公の苦悩、柏尾大善寺で息子善西の病を案じる北条夫人の母としての愛情、そして別れの場面での勝頼公の覚悟が、人形を通して痛いほど伝わってきました。
さらに心を打たれたのは、太夫の熱演でした。涙を流しながら語り継ぐその姿に、この地域の歴史と伝統に対する深い愛情と使命感を感じずにはいられませんでした。声に込められた感情の一つ一つが、四百年以上前の武田家臣たちの忠義の心を現代に蘇らせていたのです。
保存会の献身的な取り組み
保存会は2000年から継続的に公演を行い、20年以上にわたって地域の伝統を守り続けてきました。「がんばる笹子を子ども達で盛り上げよう」という合言葉のもと、地元の子どもたちや関係者が一丸となって練習に励んでいます。10月4日に撮影された練習風景の写真には、実際に人形を操りながら熱心に稽古する姿が収められていました。その真剣な眼差しには、先人から受け継いだ文化を次世代に確実に継承していこうという強い決意が表れていました。
小山田信茂公への新たな理解
小山田信茂公顕彰会の役員として、小生はこの公演を通じて、改めて小山田信茂公の人物像について考えさせられました。歴史上、武田家を裏切った武将として語られることの多い小山田信茂ですが、その背景には、領民を守りたいという領主としての苦悩があったのではないでしょうか。岩殿山への籠城を進言した信茂の心には、勝頼公への忠義と、戦火から領民を守りたいという二つの想いが交錯していたに違いありません。
伝統芸能が紡ぐ地域の絆
笹子追分人形は、単なる伝統芸能の保存にとどまらず、地域の歴史遺産を活用した文化活動として、地域振興にも大きく貢献しています。子どもたちが地元の歴史を学び、誇りを持つきっかけとなり、世代を超えた交流の場ともなっているのです。人形を操る技術の習得には長い年月を要しますが、その過程で培われる忍耐力や協調性、そして地域への愛着は、子どもたちにとってかけがえのない財産となるでしょう。

感動の余韻とこれからへの期待
公演を終えて、小生の心には深い感動の余韻が残りました。人形の繊細な表現、太夫の魂のこもった語り、そして保存会の皆さんの献身的な努力が一体となって生み出された舞台は、まさに地域文化の結晶でした。笹子追分人形が、これからも多くの人々に感動を与え、地域の歴史と文化を次世代に伝え続けていくことを心から願っています。

大月市笹子地域の小さな舞台から発信される武田の魂は、時代を超えて私たちの心に響き続けるのです。この素晴らしい伝統芸能に出会えたことに、深く感謝いたします。

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