小生にとってこの3連休(10月12日(土)~14日(月))は、大月岩殿城城主・
小山田信茂公の日です。

以下の準備を進めています。

1.小山田信茂公顕彰会講演会(第十一回)「小山田信茂公と岩殿城」

2.大月市民公開講座で発表『「小山田信茂公」の遺徳を偲ぶ』

3.地元歴史研究会・浅利を知る会の課題報告「小山田信茂と浅利信種」

もう頭が、小山田信茂公でいっぱいです(笑)。

今回のブログはその1と称して講演会(第十一回)「小山田信茂公と岩殿城」
のお知らせです。

来週の19日(土)に上野原郷土研究会会長さんによる御講演です。

既に原稿は頂いており、パワーポイント化も終了しております。

13日の顕彰会役員会で運営詳細を決めれば準備万端です。

今回の注目点は以下の点です。

「岩殿山が小山田氏の出城ではなかった」

「郡内領全体を小山田氏が支配したのではなく、旧南都留郡だけが
 領地であった」

と言われています。

これは我々の通説を完全に覆すものであり、はたしてどのような
歴史的見解を御説明するのか、今からとても楽しみです。」

ここで、優秀な検索AIの見解を聞きました。

小山田氏の支配領域
小山田氏の支配領域に関しては、以下の情報が得られます:
小山田氏の支配領域は郡内全域ではなく、限定的でした。
小山田氏の治める谷村領は、桂川流域で岩殿山(大月市)から初狩、大原荘(南都留郡富士河口湖町、富士吉田市)から山中(山中湖村)にかけての領域でした。
郡内領は小山田氏以外にも、小菅氏、西原武田氏、加藤氏などが分立して支配していました。
小山田氏は現在の都留市・富士吉田市をはじめとし、大月市猿橋あたりまでを支配していたとされています。
これらの情報から、小山田氏の支配領域が郡内全体ではなく、主に旧南都留郡を中心とした地域であったことが推測されます。

岩殿山について
岩殿山に関する直接的な言及は限られていますが、以下の点が注目されます:
小山田氏の支配領域の西端として岩殿山が言及されています。
小山田氏の本拠地である谷村館は防御性が低かったため、対岸の川棚の山地に詰城として勝山城が築かれたとされています。
これらの情報からは、岩殿山が小山田氏の出城であったという直接的な記述は見当たりません。むしろ、防御のための城として勝山城が言及されていることから、岩殿山が出城として機能していた可能性は低いと推測されます。

ただし、提供された検索結果には質問の内容を直接裏付ける情報が含まれていないため、より詳細な調査が必要です。地域の歴史書や専門的な研究論文を参照することで、より正確な情報が得られる可能性があります。

やっぱ、歴史はロマンですね。

ブロトピ:人生応援ブログ 毎日ブログを更新しています

ブロトピ:ブログ更新しました

 

◆お願い (お手数お掛けします)                                               ブログを読まれた方は下記2つのボタンを順番にクリックをお願いします。                      クリックしてアクセスするだけで点数が入り(投票され)順位が上がります。                       アクセス後は何もせず、本ブログに戻ってきてください。

にほんブログ村 その他生活ブログ 人生相談へ
にほんブログ村


セルフコントロールランキング