7月26日(土)、小生は小山田信茂公の首塚がある初狩へ行って参りました。
目的は、信茂公の碑と首塚を清掃し、心を込めて清めるためです。

夏の陽射しは強い一日でしたが、杉林に入ると空気がすっと変わり、どこか神聖な気持ちになりました。
この首塚は、初狩町中初狩・藤嶋の、かつて瑞龍庵があった場所にあります。
伝承によれば、天正10年(1582年)、甲斐善光寺で処刑された小山田信茂公の首を、従者が郡内へ持ち帰りました。
そして、さまざまな危難を避けながら密かに守り、最後にこの地へ葬ったと伝えられています。
江戸時代に編まれた『甲斐国志』にも、この付近には小山田氏の墓所と伝わる古い石塔がある、と記されています。
すべてを史実として断定することはできません。
しかし、長い年月にわたり、郡内の人々が小山田氏、そして信茂公を思い、供養し、語り継いできた大切な場所であることは間違いありません。
かつて瑞龍庵と地蔵堂は、明治40年の大水害によって流失してしまいました。
今は建物こそありませんが、杉林の中に立つ碑と石塔の一部が、静かに歴史を伝えています。
この日は、顕彰会の皆さんが心を一つにして、草を刈り、落ち葉を集め、碑を丁寧に磨き上げました。

汗を流しながらの作業でしたが、誰一人として手を抜くことはありません。
信茂公への敬意と、「この場所を次の世代へ残したい」という思いが、皆さんの手から伝わってくるようでした。
掃除を終える頃には、碑はより輝きを増し、その周りも見違えるほどきれいになっていました。
小生は碑の前に立ち、静かに手を合わせました。
「450年間言われ続けた、武田家を滅ぼした張本人という汚名は、晴れようとしています。安らかにお眠りください。」
信茂公は、戦国という極限の時代に、郡内の地と人々を背負って苦渋の決断をした武将だったのではないでしょうか。
後世の価値観だけで、信茂公を一方的に裁くことはできません。
むしろ、故郷を守ろうとした領主としての責任感、そして人々に慕われ続けてきた優しさがあったからこそ、初狩の地にこのような伝承が残ったのだと、小生は感じています。
帰り際、もう一度振り返りました。
やはり杉林の中で、碑が静かに輝いていました。
それは単に、きれいに磨かれた石碑が陽を受けていたからだけではないでしょう。
小生には、小山田信茂公の偉大さ、優しさ、そして親しみやすさが、今もこの地に息づいているように感じられたのです。
これからも顕彰会のお仲間とともに、信茂公の真実に少しでも近づき、その思いを次の世代へ伝えていきたいと思います。

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それにしても立派な石碑ですね! 戦国の武将の首塚が、450年後の今も人々の手で清められ、語り継がれているとは…この事実だけで、郡内の歴史の厚みと温度が伝わってきます。
「汚名が晴れようとしています」という一文に、時代を超えて名誉が回復していくドラマを感じました。
まさに歴史はロマンですね!(笑)