現在、世界中で新型コロナウィールスが猛威を振るっており、
日本をはじめ各国はその対応に国を挙げて実施しています。

今から125年前、日清戦争が終わり、コレラやチフスが荒れ狂う
中国大陸から帰還する兵士23万人余をわずか3カ月あまりで
壮大な大検疫を行った日本人がいます。
医師にして臨時陸軍検疫部事務官長・後藤新平(1857~1929)です。

今般、知人である方の音頭で、後藤新平勉強会が発足されました。

今回、第四回目があり、議題は官僚政治と政党政治の話です。

小生が発表者のため、課題図書を読み、年表に従って、
後藤の役職、海外の出来事、国内の出来事、それに対して後藤が
どう対処したかを各ステージに分けてまとめて、議論が議論が
しやすいように資料をまとめました。。
そそのない様に相当緊張感を持って対応しました。
以下をご覧ください。
後藤新平レジメ#4.pdf

結果勉強会は、1時間半という限られたZOOMでのデイスカッションも、
参加の方々の個性を活かした意見を引き出すことができ、
たいへん有意義な勉強会となりました。

ここで、特に小生が興味を持ったのは、以下の3点です。
 ①後藤は初めて大臣になります。
  ・逓信大臣は当時常識では伴食大臣、二流のポスト。無邪気なほど喜んだ。
  ・楽しくてたまらない:大臣はたんなる行政長官ではなく、国政に参画する存在
 ②鉄道院総裁を兼任
  ・鉄道院課題有。欧米先進諸国の水準まで高めていくか
  ・国有鉄道問題、組織官僚化&政争手段化の阻止→昭和62年分割民営化まで続く
  ・実現できなかったこと、鉄道の広軌化→昭和39年東海道新幹線で実現
  ・当時の常識超えた 東京高架工事、山手線電化、東海道線丹奈トンネル、大規模電化
  ・後藤計画に新奇、大規模過ぎると批判、今見ると文明化方向を的確に見通していた
 ③首相になれず
  ・西園寺に後藤極秘で推薦者依頼、新聞社スクープ。不信感残る。首相になれない理由
  ・桂率いる政友会は陸軍の強硬姿勢に同調せずに終わった

後藤は一言でいうと、政治家的な工作ができず、実務主義。科学技術の先見性が
あったということです。

このような勉強会に参加することは、直接会ったことのない(4/5人)
各界の方々と議論ができ、いろいろな物の見方、考え方があることがわかり、
自分の枠を超えることができます。

それにしても、皆さん知識と思考力と言葉の表現力が素晴らしいですね。
それを知るだけでも参加することに意義があります。

そして、「人 本 旅」が深まります。
やっぱ、歴史は面白いです。

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