何か自分が考えている事とか、書いていることがとても
乾いているような気がしていた。

小説が呼んでいる。
机の上には一冊の小説が置かれていた。

”JR上野駅公園口 柳美里著”

読み終わった直後の感想は、
空しい、切ない、悲しい、憐れ過ぎる・・・・。

その後、自分は今、普通の生活ができていることがどんなに有難く、
幸せであるかが胸に込み上げてきた。

小説の紹介文は
『生者と死者が共存する土地・上野公園で彷徨う一人の男の魂。
 彼の生涯を通じて柳美里が「日本」の現在と未来を描く。』

柳美里の小説を20年ぶりに読んだが、文体や表現は昔と全く変わっていなかった。
背景をもの凄く繊細に文章で描写し、人の心を会話で微妙に表現していく。

小説の始まりは以下の文から始まる。
『人生は、最初のページをめくったら、次のページがあって、次々めくっていくうちに、
 やがて最後のページに辿り着く一冊の本のようなものだと思っていたが、人生は、
 本の中の物語とはまるで違っていた。
 文字が並び、ぺージに番号は振ってあっても、筋がない。
 終わりはあっても、終わらない。』

この一文が、小説”JR上野駅公園口”の全てを表している。
主人公の生まれから亡くなる直前までの自分の人生に対する無念を表している。

『ただの一度だって他人様に後ろ指を差されるようなことはしていない。
 ただ、慣れることができなかっただけだ。
 どんな仕事にだって慣れることができたが、人生にだけは慣れることが
 できなかった。人生の苦しみにも、悲しみにも・・・・・喜びにも・・・・・。』

出稼ぎでただ働いただけの人生、その他は適応できなかったのか?

地元福島の中学を卒業して、弟妹たちのために各地に出稼ぎに出て大学まで出させる。
自分の親、妻、子供を養うためにまた出稼ぎに出るが、長男が19歳で急死してしまう。
その後も家族のために出稼ぎを続け、やっと年金生活になったとたん妻が急死してしまう。
しばらく長女の娘(孫)が来てくれていっしょに暮らすが、孫の幸せを願って家を出てしまう。
そして、上野公園に行きつきホームレスとなって生きる。
その間に、孫は東日本大震災で津波に流されて死んでしまう。
そして、主人公は72歳の時に・・・

小説の最後は以下で終わる
『暦には昨日と今日と明日に線が引かれているが、人生には過去と現在と
 未来の分け隔てはない。
 誰もが、たった一人で抱え切れないほど膨大な時間を抱えて、生きて、死ぬ。
 山手線内回りを一本見送り、次の電車が到着するまでの三分間、自動販売機で
 炭酸のジュースを買って、二口だけ飲んでゴミ箱に捨てた。』

作者・柳美里は、この小説の中で一番訴えたかったのは、

人生は、一冊の本や本の中の物語とはまるで違う。
人生には過去と現在と未来の分け隔てはない。
そんなきれいに割り切れるのもではない。
自分や周りの人間は、常に生と死の狭間にいる。
いくら自分が頑張っても、運命というものに翻弄されてしまう。
そんな人がいる日本の未来は決して明るくない・・・。

ではないかと小生は思う。

世界のほんの一部分で生き、机上の空論を振りかざしている小生は、
この小説からアッパーパンチを喰らった気分である。

ただし、頭がすっきりして、とても清々しい気分である。

◆ホームページにお戻りの方が下記をクリックして下さい。
 http://orinokasa.com/index.html

◆御意見をいただける方は下記 Commentをクリックして下さい。