仏教の教えの中に「四苦八苦」というものがあります。

人間には、生きていく上で「苦」が必ずある。
その中でどうしても避けて通れない「苦」がある。
 ・生苦 : 生まれること
 ・病苦 : 病に侵されること
 ・老苦 : 老いていくこと
 ・死苦 : 死なねばならないこと

冒頭から、重い宗教のお話になってしまいました。

本件については、毎年受講している禅講座を通じて、頭が発散するほど
考え続けています。

それに関連して、この頃、書籍、雑誌、インターネット、歌を通じて、
「死の予感」というフレーズに出会うことが続いています。

今回のブログは、その件について暗く捉えるものではなく、
小生の「死の予感」をするほどの怖い体験を紹介しようと思います。

皆さんには、他山の石にならない様にしていただきたいと思います。
後で再発防止策を示しましたので参考にして下さい。

さて、小生今までの「死の予感」をするほどの怖い体験として
 ・三歳の時、七五三祝いの朝、三輪車と一緒にドブに落ちた
 ・五歳の時、焚火でボンベが爆発した
 ・二十一歳の時、バイクで事故を起こした
 ・四十二歳の時、背中に腫瘍ができた
 ・五十九歳の時、ジョギング中車に足を踏まれなぎ倒された

結構、凄いことを体験しています。

更に、完全に「死の予感」がした一番怖い体験を9年前にしています。

大月は、自称「富士の眺めが日本一美しい街」で、代表的な山が19峰があります。
小生、一年かけて全ての山を登る最後の山が滝子山(1590.3メートル)でした。

その日は天候も悪く一日中薄暗い日で、滝子山には「死の森」というのがあって、
まったくほったらかしになってしまった杉がそこらじゅうで倒れていて、
地面が見えないような状況の森があります。

小生、山に入る前から、何かそわそわしていて嫌な予感がしていたんですね。

案の定、下山時、杉の木々に道を塞がれて、迷ってしまったのです。

気が付くと、薄暗い杉林の中で、ごろごろしている大きな岩の上に
しゃがんでいたのです。
まったく無意識で、誰かに導かれたような感じです。

3m下は激流で、滑り落ちると完全にアウトです。

今でも覚えていますが、この時完全に「死の予感」がしたのです。

激流に流されて、岩にぶつかりながら下に流れていく。
どこまで流れていくのか?
このまま、見つけてもらうことはないかもしれない・・・。
家族、親兄弟、友人、知人、会社の仲間の顔が・・・。

その後、ほんとの死にもの狂いで、岩の上、死の森を脱出ししたのでした。

帰ってから原因解析と再発防止をしました。
失敗(1) 道に迷い、危険な場所に行ってしまった
◆原因  ①地図、インタネットなどの事前チャックが十分でない
      ②最新の注意が足らず、気がつくと道が無くなっている
      ③絶壁に近い道も正規ルートだと思ってしまう
      ④道を間違えてかなと想い始めてもしばらく歩いてしまう
      ⑤前回の失敗の再発防止が十分でなく、同じ間違いをしてしまう
      ⑥山の本当の怖さを知らない
◆再発防止 ①最新の地図の常備とインターネットの登山経験記をよく読む
         ②けものになった様な五感でけもの道を歩く
         ③道の変化をすぐ察知する、登山道で絶壁はあり得ない
         ④道を間違えたと思った瞬間、すぐ来た道を戻る
       
それ以来、小生トラウマになってしまい、山登りはしなくなってしまいました。

最後のまとめです。

日頃、「生きていることに感謝」と思って行動しています。

合わせて、時には「必死に生き伸びる」と思って行動することも大切であると
その体験から思うようになりました。

仏教の教えの通り、生きるということはたいへんなことですね。

◆ホームページにお戻りの方が下記をクリックして下さい。
 http://orinokasa.com/index.html

◆御意見をいただける方は下記 Commentをクリックして下さい。