3月7日の土曜日、小生はここ大月市の岩空山威徳寺へと足を運びました。

武田信玄配下の「武田二十四将」の一人であり、この郡内地域の領主であった小山田信茂公と、武田信玄の息女である松姫様の合同慰霊供養祭に参列するためです。

空は澄み渡り、まるで歴史の1ページを静かに見守っているかのようでした。

なぜ、お二人を御一緒に慰霊するのでしょうか。

そこには、大月という地域の歴史を包み込む、あまりにも深く、そして切ない意味があります。

小生が思うに、この合同慰霊の最大の歴史的意義は、武田家滅亡の悲劇を悼み、「恩讐を越えた鎮魂」を行うことだと思います。

時は1582年、武田家崩壊の折。信玄公の愛娘・松姫様は、迫りくる敵火から逃れるため、大月を抜け八王子へと向かう過酷な逃避行を経験されました。一方、大月を含む郡内領主であった信茂公は、主君・武田勝頼公の岩殿城への受け入れを断念し、結果として武田家滅亡の引き金を引いたとされています。そして彼自身も、直後に織田方によって処刑されるという非業の最期を遂げたのです。

裏切られたとされる武田家側の姫君と、裏切り者という汚名を着せられながらも、愛する郷土・郡内を戦火から護ろうと苦渋の決断を下した領主。ここ大月の地で数奇な運命が交錯した二人の魂を、同じ場所で共に供養する。それは、四百数十年の時を経てかつての遺恨を水に流し、地域の歴史を共に悼み、永遠の平和を祈念するという、極めて崇高で深い意味が込められています。

現代に生きる私たちが、過去の悲劇から何を学ぶべきかを教えてくれるような気がしてなりません。

当日の慰霊祭は、厳かな中にも地域の人々の温かい想いがあふれる素晴らしいものでした。

11時30分の受付開始と同時に、御嶽神社への参拝が行われ、「甲冑サークルサクト隊」や「小山田甲冑・陣羽織隊」が勇ましく出陣し、境内に戦国浪漫の風が吹き抜けました。

正午のご挨拶とともに慰霊祭が開始され、12時20分からはサクト隊による気迫のこもった演武が披露されました。

続いて、猪田社中による三曲演奏、今泉社中による民謡が奉納され、美しくもどこか哀愁を帯びた調べが、春の山々に響き渡りました。

また本堂内には、大月市短歌連盟の皆様による情緒あふれる短歌や、大月市水墨画連盟による見事な水墨画が展示されており、地域の文化的な深みも存分に味わうことができました。

13時30分、林ご住職の深く胸に響く読経の中、小生を含め参列者全員で静かに線香を手向け、お二人の御霊の安寧を心から祈りました。煙が天へと立ち昇る様は、まるで二人の魂が安らかに寄り添っているかのように見えました。

かつて血塗られた歴史の舞台となったこの地で、今こうして平和な時代に両者の御霊を共に慰めることができます。小生は、歴史の重みと地元大月の人々の心の広さに、ただただ深い感銘を受けた一日でした。これからもこの地で、平和への祈りが紡がれていくことを願ってやみません。

 

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