”人間らしく生きる”ために、先ず自身に必要なことは、自身の
”心””体””頭”を鍛えることと”人”を知ることだと思っています。

”人”を知ることは、本当に素晴らしいことだと思います。

是非、皆さんにも知っていただきたく、このシリーズを設定致しました。

今回の人を知るって素晴らしいは、Mu先生です。

Mu先生は小生の大学院時代の研究室の指導教官です。
ゼミ、実験方法、修士論文、学会論文発表では、たいへん厳しく御指導
いただきました。
特に修士論文の添削では、全ページ赤ペンで真っ赤になって何回も
返ってきました。
他の研究室では、これほど真っ赤になって返ってくることはなく、
小生、何回もめげそうになりながら、歯を食いしばってなんとか論文を
書き上げました。
これほどまでに熱意を込めて指導して下さることは、先生にとっても
物凄い労力で、小生会社の管理職になって初めてそのことを知ることができ、
先生には手を合わせるほどの感謝をしています。
もちろん、論文の添削のお陰で、論理的物事の考え方、技術論文の書き方、
考察の方法などを会社の業務に活かすことができました。
今でも、執筆活動に活かしています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/qjjws1983/1/1/1_1_45/_article/-char/ja/

Mu先生は、※破壊力学では世界的に有名な方で、世界中の大学の先生と
ネットワークをお持ちです。
※破壊力学は、材料力学をベースとしながらもそれでカバーできない分野に
考え出された工学の一分野であり、欠陥もしくはき裂を有する部材・材料について、
破壊現象を定量的に取り扱う工学的手法の一つです。
世界ではじめてのイギリスジェット旅客機”コメット”やタンカーの不具合で
適用されました。

Mu先生は、我々1期生が入学した時は、まだ20代で助手をされていました。
小生、高専で伸び伸びし過ぎてしまったため、大学の理論派バリバリの工学博士
だらけの学び舎に慣れるのには相当苦労しました。

大学院の研究室を選ぶ時は、その前に約半年間実務訓練で茨城の某電機メーカーにて
溶接継ぎ手の欠陥解析を行っていたので、大学院に帰ってきて、Mu先生というより
研究内容で研究室を選択した次第です。

その後の2年間は厳しく指導していただきましたが、小生の自分で電子測定器設計製作、
マイクロ顕微鏡測定器設計製作、ステンレスの試験片設計製作などに対し、Mu先生は
小生の頭よりも職人としての腕を褒めて下さいました。

特に最後の1年間は、1回の疲労試験が連続約1週間続くため、寝袋を持って
実験室に寝泊りしていました。
もう完全に昼夜わからなくなり、Mu先生はよく生まれたばかりの赤ちゃんを乳母車に
乗せて様子を見に来ていましたが、その時に限って小生は寝袋な中で
「お兄ちゃん、また寝てまちゅねえ~」なんて声を何度かうっすら聞いたことがあります。

また、教員住宅が学校の敷地内にあったため、何度か夕飯に招待していただいたり、
研究室で海に言ったり、スキーに行ったりで、とても深く交流をしていただきました。

小生が卒業式の時、先生に向って、
「御指導いただいた恩をお返ししたい。何が良いですか?」
とお聞きした時
「折乃笠が、会社でしっかり働くことが、私への恩返しだ。」
と言われたのです。

その後、小生、会社でしっかり働いたかどうかは?ですが、
部長の時、大学の数十周年式典で”会社での現状報告”を各学科出身者代表が
することになり、小生パリダカのチーフエンジニアをやっており話題性もあって選ばれました。
本番で、小生どうしても言いたいことがあり、最後に
「Mu先生には、大学院ではほんと厳しくやさしく育てていただいた恩があります。
 今日、私は卒業生として、このような場で現状報告することができ、ほんの少し、
 Mu先生には恩がお返しできたと思います。」
この時、Mu先生は目をつぶって上を向いていらっしゃいました・・・。

小生、学校を卒業してからも、リクルートや研究室のOB会で、Mu先生と毎年お合いしており、
今でも交流が続いております。

Mu先生は、破壊力学の学術的な貢献をし、合わせて大学の経営にも手腕を発揮し、
晩年は副学長として大活躍されました。

今は、大学を退官されて、長岡の地域活性化のために活動されています。

小生のエッセイ本第一弾、第二弾をプレゼントしたところ、とても喜んで下さいました。

今のところ、添削で全ページ赤ペンで真っ赤になって返ってきていません(笑)。

また、近い内、長岡でお会いしたいと思っています。

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