つい最近、人間学月刊誌「致知」3月号を読んでいて、とてもショッキングな
対談記事がありました。

昨年のシンポジウムで日本はもはや二流国ではないと警鐘を鳴らされている、
もはや三流国であるというのです。

原因はいろいろあるにせよ、特に感じるのが以下だと言っています。

1.日本人に覇気がなくなった

2.政治家から一般の人まで論理感がなくなった

3.世界に出て行って定量的に自分たちを評価しなくなった

4.歴史を学ばなくなった

新聞やテレビのニュースを見ても.近頃のテレビ番組を観ても.
電車に乗って乗客の様子を見ていても・・・・この小生でも以上のことを
感じてしまいます。

ここで、そうではなかった昔の日本人を紹介します。

『竹田恒泰著 日本はなぜ世界でいちばん人気があるか PHP新書』
からです。

『日本人は手抜きをせずに、完成度の高い仕事を成し遂げることを美徳としてきた。

私はウズベキスタンを旅したときに、日本人のその気質が強制労働であっても
遺憾なく発揮されてきたことを知り、驚愕した。

ウズベキスタンは、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和国で、
北はカザフスタン、南はトルクメニスタン、アフガニスタンと国境を接している。
世界には海と接していない「内陸国」が43カ国あるが、そのうち、国境を接する
すべての国が内陸国である国、すなわち、国境を少なくとも二回越えないと海に辿り
着かない国を「二重内陸国」といい、世界中で、リヒテンシュタインとウズベキスタンの
二カ国しかない。

四方を海に囲まれている我が国とはまったく正反対の地理的環境にあり、
ウズベキスタンはおよそ世界の国々と隔絶された位置にあり、「辺境の地」というに
相応しい。

私は、首都のタシュケントを訪れた時、中央アジア最大のオペラ・バレエ劇場である、
ナヴォイ劇場を見学する機会を得た。
ナヴォイ劇場は、およそ2年の工事を経て昭和22年(1947)に完成した、
1500人を収容できる煉瓦造り三階建ての劇場で、この建設工事を担当したのが、
シベリアに抑留され強制労働をさせられた日本人だったというのだ。

大東亜戦争末期に、外地にいた約65万人の日本人がソ連に強制的に連行され、
強制労働をさせられた「シベリア抑留」はよく知られるが、日本人の抑留者が
中央アジアまで連行されていたことはあまり知られていない。

ウズベキスタンに連行された約25000人の抑留者たちは、過酷な労働を強いられ、
道路、工場、運河、炭鉱、発票、学校などの社会基盤の建設にあたった。

厳しい気候条件、十分な食事を与えられない厳しい収容所生活、そして就労させられた
危険な仕事などの結果、病気や事故などで813人の日本人抑留者がウズベキスタン
の地で命を落とした。

ナヴォイ劇場の建設には約500人の抑留者が充てられ、そのうち約60人が事故などで
亡くなったと伝えられている。
この数字から、どれだけ過酷環境であったか想像することができるだろう。

しかし、日本人の抑留者たちは、そのような理不尽かつ非人道的な状況のなかであっても、
手抜き一つすることはなかった。
シベリアに連行された日本人には、旧満鉄や建設会社の技術者、そして関東軍の工兵たちなど、
いわば最先端の技術者が多く含まれていた。
彼らは戦争に敗れても日本人としての誇りを捨てることなく、丁寧な仕事をして、
見事な劇場を完成させたのだった。

入り口の天井付近などには細かい彫刻や模様があしらわれているが、それらも手先が器用で
細かい作業を得意とする、日本人の技術者が作ったものである。

そのような日本人の丁寧で真面目に働く姿を目の当たりにした市民たちは、
尊敬と畏敬の念を抱き、見るに見かねて食料を差し入れた者もいたという。

そして、その様子はいまだに語り草になっていて、私はタシュケント滞在中に何人かの市民から
同様の話を聞かされた。

日本人の態度は正々堂々としていて、待遇改善を訴えてばかりいたドイツ人捕虜たちとは
異なっていたようだ。

しかし、1966年4月、タシュケントを震源とする大地震が起き、市内では震度8を記録し、
建物のおよそ3分の2が倒壊した。
ところが、当時築18年を迎えたナヴオイ劇場はまったくの無傷で、見渡す限りの瓦礫の
山のなかで、凛と輝いていたという。

これを見たタシュケントの市民は、完成度の高い仕事を成し遂げた日本人抑留者たちのことを
あらためて称えた。
中央アジアのなかでもウズベキスタンの親日の度合が抜きん出ているのは、抑留者たちの
おかげなのかもしれない。

通訳をしてくれた地元の大学生は、母親から「日本人のような真面目な人になりなさい」と
教えられて育ち、日本を夢見て日本語を学びはじめたという。そして、日本とウズベキスタンの
友好の架け橋になるのが夢だと語ってくれた。

私は、最後まで日本人の誇りを失わずに建設に従事した日本人抑留者たちの気持ちに触れようと、
ナヴォイ劇場の階段の手すりに額を付けてみた。

「気付いてくれてありがとう」という声が聞こえたような気がした。』

この魂が世界の方々の心を感動させています。

『日本人の丁寧で真面目に働く姿を目の当たりにした
市民たちは、尊敬と畏敬の念を抱き、見るに見かねて食料を
差し入れた者もいたという。』

このことに対し我々は、大きな感動と共に同じ日本人として誇りに思います。

小生は日本が三流国になろうが、その精神はまだまだ生きていると思っています。

もちろん微力ながら、日本が元気になる様に貢献したい。

小生は今でも 日本人に生まれて良かったと 思っています。

 

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