皆さん、武田信玄の4男で武田家滅亡時の当主武田勝頼は
実は四国で生きていたという説があるのはご存じでしょうか?
その説を歴史的に研究している歴史研究会が四国にあります。
「武田勝頼土佐の会」です。
『名だたる戦国武将・武田信玄の4男である甲斐武田家20代当主
「武田勝頼」は、定説では天正10年(西暦1582年)天目山で自害したと
されていますが、高知県吾川郡仁淀川町に残る影武者説では、
武田勝頼は織田軍からの敗走後、当時の土佐の武将・香宗我部氏を
頼ってこの土佐に落ちのび、その後、この大崎村川井(現仁淀川町大崎)に
入り、以後、名前を「大崎玄蕃(おおさきげんば)」と変名し、
この地で25年ほど活躍し、慶長14年(西暦1609年)8月25日64歳で
逝去され、鳴玉神社に葬ると記録(仁淀川町及び佐川町に残る武田家系図に
記載)があります。』
「武田勝頼土佐の会」と大月の「小山田信茂公顕彰会」は活発な交流を
しております。
2022年4月9日武田信玄公生誕500年記念行事には高知から
甲府まで来られ、更には大月で「小山田信茂公顕彰会」と懇親会を
実施しています。(小生はまだ入会前)
そして、今年の3月11日(土)に高知で以下の後援会が開催されます。
「小山田信茂公顕彰会」としても6名参加表明をしツアーを計画しています。
前日の3月10日(金)に大月から淡路島経由高知までピリウスαで
弾丸移動を実施します。
帰りは12日(日)、せっかくなので、しまなみ海道と岡山経由の遠回りをして
弾丸移動を実施します。
小生は運転手兼カメラマン兼ブログ作成要員として参加させていただきます。
ツアーの目的は
・武田勝頼土佐の会と親睦を深める
・歴史後援会に参加し、史跡を訪ねて、武田勝頼公をより理解する
・四国観光とグルメ堪能(時間の関係で少しだけ)
現在、計画の最終段階です。
小生、四国は高専5年卒業記念一人旅で行き、その後は仕事で十回位
行っています。
数年前は松山の砥部にある仏教詩人坂村真民記念館へ行きました。
その時も行き帰り夜行バスの0泊3日の弾丸移動でした(笑)。
今回の四国は歴史探訪がメインですが、他にもいろいろことがあって
とても楽しみです。
帰ってきた時にまた楽しい報告をさせていただきます。
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