令和7年10月4日、大月市七保公民館で開かれた小山田信茂公顕彰会の歴史講演会に参加しました。

講師の夢酔藤山(むすい・とうざん)先生は、関東・甲斐・房総を主舞台に中世史を描く歴史小説家。2000年「奇本太閤記」で新人賞受賞。地域紙連載・講演多数、令和薫名でも執筆。近著『御所車―知久太平記―』『里見太平記』。通説を吟味し、史料×物語で“地域史文学”を拓いています。

今回の演題は「武田氏と里見氏の房甲同盟」です。

正直、小生は「武田と里見は距離がある」という固定観念を持っていましたが、先生の話は通説の影に埋もれてきた点と点を拾い、甲斐と房総を一本の線にして見せてくれました。

驚きとともに、妙に腑に落ちる感覚がありました。

まず心をつかまれたのは、戦国史を「外交・経済・宗教・交通」という四つの視点で立体化して語ったことです。

塩の需給や海運、青梅から郡内へ至る物流の動脈、さらには越中一向一揆の圧力といった外的要因が、諸勢力の選択を左右したという説明は、同盟を単なる誓詞の有無で語らない厚みを与えました。

物資の流れ、人の往来、兵站の積み上げが結果として同盟のかたちを作る――この見取り図に小生は強くうなずきました。

次に印象的だったのは、年表の“継ぎ目”を作る構成です。

上杉禅秀の乱から享徳の乱、そして16世紀中葉の再編へ。

古河公方の権威や旗の下賜といった象徴事例を軸に、離れて見える出来事が一本につながりました。

甲斐武田は山国にこもる孤立勢力ではなく、関東政治の風にさらされ続けていたのだと視界が開け、海の安房里見と山の郡内小山田が利害と経路の上では意外なほど近かったことを実感しました。

この距離感の再設計が、「房甲同盟」という仮説に現実味を与えていたと思います。

さらに、先生の学びの姿勢にも背筋が伸びました。「定説は疑え」と言い切りながら、反証可能性は手放しません。

一次史料の所在、奥付や書札の照合、地名・関所・港の具体検証という宿題をはっきり示し、「仮説は開かれた招待状だ」と語ります。

歴史は答えを暗記する科目ではなく、問いを耕し続ける営みだということを、会場の空気ごと教えてくれた気がします。

小生の発見を三つ。

第一に、岩殿・谷村といった郡内の拠点が海の物資と結節する可能性を物流の図として想像できたこと。

第二に、義信事件や“塩止め”を感情の対立ではなく、供給網と外交均衡の上に立つ政策として読み直す視点を得たこと。

第三に、物語を紡ぐ作家ならではの人物への眼差しが、史実の背後にある動機や心理を照らし、出来事の解像度を一段上げていたことです。

最後に、顕彰会の営みについて一言。

地元の英雄を顕彰するとは、功績を称えるだけでなく、未解決の問いを抱え、史料を探し、地図に新しい線を引き足すことだと思います。

今回、房総と甲斐が一本の航路で結ばれるイメージを受け取りました。

次は我々の番です。古文書に足を運び、地域新聞の綴りをめくり、地名の由来を歩いて確かめたい。

歴史は遠い過去ではなく、暮らしの足元で息づく現在進行形のプロジェクトだと、あらためて感じました。

 

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