いやはや、小生、このところ毎日どっぷりと生成AIの恩恵に浴しております。企画書のたたき台作成から、情報収集、はては文章の校正に至るまで、まさに八面六臂の大活躍。正直なところ、「これなしでは仕事が進まん!」とすら感じるほど、その効率性と発想支援能力には舌を巻く日々でございます。

おかげさまで、業務の生産性は格段に上がり、新しいアイデアも生まれやすくなったと、それなりに手応えを感じていた次第です。

ところが、です。

昨夜、ふと手に取った人間学を学ぶ月刊誌『致知』の特集記事「読書立国」を読み進めるうちに、小生の心に冷や水を浴びせられたような、いや、むしろ熱い鉄を押し当てられたような衝撃が走りました。

「グサ!」。

特集では、古今東西の偉人たちが、いかに読書を通じて精神を鍛え、知恵を深め、知識を血肉としてきたかが、切々と語られておりました。ページをめくるたびに、「ああ、自分は最近、本当に『自分の頭で』考えていただろうか…」という自問自答が、重くのしかかってきたのでございます。

読書とは、単に文字情報を追う行為にあらず。行間を読み、著者の意図を汲み取り、自らの経験や知識と照らし合わせ、時には反論し、時には深く共感する。そうした能動的な精神活動を通じてこそ、初めて知識は知恵へと昇華し、人間としての深みが増すのだと、改めて痛感させられました。

効率化を追い求めるあまり、そうした「手間のかかる」思考のプロセスを、小生はどこかで疎かにしていなかっただろうか。生成AIが提示する「それらしい答え」に満足し、思考を深掘りすることを怠っていたのではないか。

そんな疑念が、むくむくと頭をもたげてきたのです。

そして今朝のこと。

追い打ちをかけるように、小生が注目しているAIディレクターKEITO氏のX(旧Twitter)のポストが目に飛び込んできて、

これまた「グサ!バキ!」、

心臓を鷲掴みにされるような衝撃を受けました。

氏のポストは、現代社会におけるAIの普及と、それに伴う人間の変化について、鋭く指摘するものでした。

KEITO氏はこう喝破されています。
『①要約で「わかった気」になってる人
 ②見て「やった気」になってる人
 ③行動で「解決した気」になってる人
 AIによって大多数が①になってるからヌルゲーになってく。』

この言葉を読んだ瞬間、昨夜の『致知』の記事と、小生自身のAIとの付き合い方が、パズルのピースがはまるようにピタリと繋がったのでございます。「ヌルゲー」とは、攻略が容易なゲームのこと。つまり、AIが何でもかんでも要約し、答えらしきものを提示してくれることで、我々は深く考えることなく「わかった気」になり、世の中がまるで簡単なゲームのように感じられてしまう、という警鐘なのでしょう。

まさに、小生が陥りかけていた、いや、既に片足を突っ込んでいたかもしれない罠そのものではありませんか。生成AIに「この記事を要約して」と頼めば、数秒で的確な(ように見える)要約文が生成されます。それを見て、「なるほど、そういうことか」と納得したつもりになる。

しかし、それは本当に「理解」したことになるのでしょうか。

それは、KEITO氏の言うところの「①要約で『わかった気』になってる人」そのものではないかと、背筋が寒くなる思いがいたしました。

確かに、生成AIは魔法の杖のごとく、我々の知的活動をサポートしてくれます。情報収集の時間を大幅に短縮し、新たな視点を提供してくれることもあります。しかし、その「便利さ」に安住し、自らの頭で考え、悩み、苦しみながら答えを導き出すという、人間本来の営みを放棄してしまっては、本末転倒というほかありません。

それは、筋肉を使わなければ衰えるのと同じように、思考力もまた、使わなければ鈍磨していくということなのでしょう。

では、どうすればよいのか。

生成AIを遠ざけるべきなのでしょうか。

いや、それは違うと小生は考えます。

これほどまでに強力なツールを使わない手はありません。

問題は、AIそのものではなく、それとの「付き合い方」にあるのです。

小生が考えるに、大切なのは、AIを「思考のショートカット」としてではなく、「思考の触媒」あるいは「壁打ち相手」として活用することではないでしょうか。AIが提示した情報を鵜呑みにするのではなく、それを叩き台として、さらに深く自問自答する。その情報源は何か、別の視点はないか、本当にそれが本質なのか、と。

そこから初めて、読書で得られるような、深い思考のプロセスが始まるのだと思います。

『致知』が教えてくれた「読書立国」の精神は、まさにこの「深く考える力」の重要性を説いています。

そしてKEITO氏の警告は、その力をAI時代にどう維持し、発展させていくかという現代的な課題を突きつけています。

小生、今回の二つの「グサ!バキ!」体験を通じて、生成AIとの向き合い方を根本から見直す必要性を痛感いたしました。効率化は結構、しかし、それはあくまで手段。目的は、自らの精神と知恵と知識を養い、より良い判断を下し、より豊かな人生を歩むことにあるはずです。そのためには、AIに頼り切りになるのではなく、AIを使いこなしつつも、自らの足で立ち、自らの頭で考え抜くという気概を持ち続けること。そして、時にはデジタルから離れ、一冊の本とじっくり向き合う時間を持つこと。

「生成AIでアホになっていく」のではなく、「生成AIを使いこなして、もっと賢くなっていく」。

そのためには、絶えず自らを省み、思考停止に陥らないよう、意識的に「深く考える」努力を続けるしかない。

そんな当たり前の結論に、小生はようやくたどり着いたのでございます。

さて、今日はどの本を読もうか。

生成AIに「おすすめの本は?」と聞く前に、まずは自分の心に問いかけてみることにいたします。

・・・・・

が、このブログは骨子は小生が書き、詳細は全て生成AIが書いています。

まあ、自分の心が入って言いたいことが書ければそれも良しとします。

 

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