皆さん、このお人形のお顔を御覧ください。
小生、しばらくの間、見入ってしまいました。
非常に繊細で、優雅な趣を感じさせます。特に、表情の穏やかさと精密に
描かれた眉目が、伝統的な美意識を反映しているように思いました。
このお人形は、我が大月の笹子地区に受け継がられた「追分の人形芝居」
の主役級のお人形です。
今般、大月市立郷土資料館で行われている「追分の人形芝居展」に
行ってまいりました。
概略以下の内容です。
山梨県の大月市笹子町。甲州街道の難所として知られる笹子峠のふもとに、
400年もの時を超えて受け継がれてきた宝物があります。
それが「笹子追分人形」。
この人形芝居は、単なる伝統芸能ではなく、旅人の心を癒し、
地域の人々の誇りとなってきた、まさに生きた文化遺産なのです。
息づく歴史と伝統
雪に埋もれる峠の農家から、口三味線の義太夫節が響き渡る。荒れて節くれだった手から、人形の悲しくも美しい物語が紡ぎ出される1。この光景は、江戸時代から変わることなく、笹子の地に根付いてきました。
笹子追分人形の最大の特徴は、「三人遣い」と呼ばれる独特の操演方法です。一人が足を、一人が左手を、そして一人が右手と頭を操ります。三人の息が合わさって初めて、一体の人形に命が吹き込まれるのです14。この技術は、18世紀頃に淡路(現在の兵庫県)の人形使いによってもたらされ、以来、庶民の文化として大切に受け継がれてきました。
旅人を癒す心のオアシス
かつて笹子村は、甲州街道随一の難所である笹子峠を控えた宿場町でした。旅の疲れを癒し、明日への活力を養うため、旅人たちはこの人形芝居に心を奪われたことでしょう。娯楽の少なかった時代、笹子追分人形は、まさに旅人たちの心のオアシスだったのです。
伝統を守る人々の想い
現在、この貴重な文化を守り続けているのが「笹子追分人形保存会」です。会長の天野茂仁さんは、この伝統を絶やさないよう、若い世代への継承に力を注いでいます。
人形の総重量は5kg以上にもなり、高齢者には体力的に厳しい面もあります。しかし、その重さに負けない熱意で、天野さんたちは活動を続けています。イベントへの積極的な参加や講演を通じて、より多くの人々にこの文化の素晴らしさを伝え、後継者の確保に努めているのです。
新たな世代へ
若手の一人、山田智美さんは、地域のイベントで初めて笹子追分人形に出会い、その魅力に取り憑かれました。「大変なこともあるけど、イベントで人形芝居を披露すると達成感がすごい」と語る山田さん。三人で一体の人形を動かすことで培われる団結力も、この芸能の大きな魅力の一つなのでしょう。
感動の瞬間を共に
笹子追分人形は、単なる観賞物ではありません。それは、400年の時を超えて受け継がれてきた人々の想いであり、技であり、心なのです。この素晴らしい文化遺産を、私たちの手で未来へと繋いでいく。そんな使命感と共に、笹子追分人形は今日も舞台に立ち続けています。
機会があれば、ぜひ一度、笹子追分人形の公演をご覧ください。きっと、あなたの心に深く刻まれる感動の瞬間が待っているはずです。
展示されている特別展示室は、別世界のようでした。
土曜日の朝早い時間だったので小生一人でしたが、
それぞれのお人形さんと一対一で会話をしてきました。
奥深い目で、小生の心の中を見透かされているようでした。
衣装も煌びやかで昔の文化が想像できます。
大月にこんな素晴らしい古典文化、芸能があることに
誇らしく思いました。
400年という長い間、伝統を受けつながれた来た
笹子の皆さんに尊敬の念を抱きます。
A会長さんとは大月かがり火祭りで小山田信繁公顕彰会とコラボしました。
若頭相当のOさんは、昔からのお知り合いで、彼の個人的なブログで
細々と紹介しています。
小生、小山田信茂公顕彰会、大月桃太郎伝説のサイトは作りました。
次は、追分の人形芝居です! 大月の歴史ネットワークを作る!
最後に会話した郷土資料館の館長も大きく頷いてくれました。
詳細は12月暮れに一杯(いっぱい)飲みながら話そうで終わりました。
(追分の人形芝居という崇高な話題から、最後は飲み会の約束で
終わるところが、本ブログの醍醐味です(笑))
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