山田ズーニーさんのエッセイ本”理解という名の愛がほしい”。
フェースブックで山梨恵林寺古川老大師様の書籍紹介を受けて
読み始めました。

読み始めの時、題名の ”理解という名の愛” は、かっこいいね、
意味は?? と気にしていませんでし。

本の内容は、著者のエッセイを集めたものです。
ミスを犯して、人を傷つけて、自分はもっと傷ついて、眠れないような後悔して、
何とか解決の糸口を見つけて、元にも戻る。
特別なことをしているわけではないのですが、そこには、誠実、正直、本音
があります。

エッセイを中盤まで読み進めている時、びっくりすることがありました。
小生のホームぺージビジネス講座の先生で、以下の講義動画
があったのです。

『人の大きな喜びは、”理解されること”
 人は、自分の大変さ、辛さを分ってもらえて、自分を理解してもらうと、
 すごく嬉しい気持ちになる。
 ビジネスというものは、人を相手にして行うものであるため、
 人のことを理解して、人に喜んでいただくことは、とても大切なことです。』

山田ズーニーさんのエッセイ終盤、全く同じことを言っています。
『実は自分のたいへんな苦労を5年間黙って理解し続けてくれた人が
いたことを知った。”理解というな名の愛”を知った。』

小生にもまったく同じような出来事があったことをこのブログを
書いていて思い出しました。

会社のプロジェクトの中で、一見花形のお祭り騒ぎ的なものがあった。
担当になった時、その中身は人・もの・金の全て無く、人間関係は最悪状態だった。
ゼロからのスタートでなく、マイナスからのスタート。
0点復帰できたのが半年後、その後微速でも前に進まねばならない。
やっと、お正月の本番に間に合い、小生も南半球の現地へ。
帰国後、廻りの青白い顔の中で一人だけ健康日焼け顔。
廻りからはお遊びと揶揄されながらも、行ったもん勝ちとけつまくり。
一人、下を向いていた時、小生の肩をポンとたたいてくれた上司がいた。

改めて、今回 ”理解”を理解できました。

これからは ”理解” されることを期待するのではなく、
常に、人の大変さや辛さを”理解”してあげられる様な
大きな心を持ちたいと思います。

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