”人間らしく生きる”ために、先ず自身に必要なことは、自身の”心””体””頭”を
鍛えることと”人”を知ることだと思っています。

”人”を知ることは、本当に素晴らしいことだと思います。

今回はシリーズとして、小生の人生観に大きく影響した五人の小説家を紹介致します。

大学4年終わり頃、キリスト教そして宗教をその後一生考える事になる一冊の本と出合いました。
小生にとって、あまりにも衝撃的でありました。

小説 “塩狩峠 三浦綾子著” です。

内容について、小説本の解説から紹介致します。
『宗谷本線・和寒駅を発車した2両連結の上り列車は、ほどなく勾配をせりあがるように進んだ。
 二本の線路は大きくうねって緑の山合に延びる。
 塩狩駅の無人駅舎はその向こうにぽつんとみえた。
 塩狩峠(北海道和寒町)は天塩と石狩の国境にある険しく大きな峠である。
 明治四十二年二月二十八日の夜、急坂を登りつめた列車の最後尾の連結器が外れ、
 客車が後退をはじめた。偶然、乗り合わせていた鉄道職員・長野政雄がとっさの判断で、
 線路に身を投げ出し自分の体で客車をとめた。長野は殉職、乗客は救われた。』

この“塩狩峠”を読んだ後、三浦綾子の小説及びエッセイは全て読みました。
残念ながら、その頃の小生は、主題である“愛や犠牲死”について理解する
ことはできませんでした。

あれから40年、小生の本棚には、三浦綾子関連の本が26冊あります。

現在、小生のエッセイ第3弾の中で宗教について考えていますが、その中でキリスト教は
大きなキーとなります。

改めて、小説“塩狩峠”のテーマである“愛と犠牲死”について考えてみます。

主人公は自分の命と引き換えに乗客への愛により乗客の命を救った?
それでは何年もの闘病の末やっと回復した恋人への愛は?
婚約の日、主人公の死を知ることになる恋人の悲しみはどうする?
主人公の行動は本当に正しかったのか?
例えば、乗客全員の着ている洋服をつなぎ合わせて車輪に引っ掛けて客車を止める
方法もあったと考えられます。

キリスト教がいう“愛”に対する行動は、最終的には自分で決定しなければ
いけないのかもしれません。
キリスト教は愛に対する具体的な行動までは示していないのです。

三浦綾子は北海道旭川市生まれの作家です。
結核闘病中の1952年に洗礼を受け、敬虔なクリスチャンとして創作活動に専念しました。
人間が生きる事の意味を信仰に基づく視点で描きながら、我々に問いかける作品が
数多くあります。

三浦綾子の小説は、ほとんどがキリストの教えに沿った結末が待っています。

しかし、その途中のストーリーは、運命、人の死、憎しみ、怒り、精神の葛藤・・・
ドロドロの人間観がこれでもか、これでもかと繰り広げられ、これがキリスト教信者が
書く言葉?と疑いたくなるようなどぎついシーンが多々あります。

三浦綾子は、どぎついシーンとキリストの教えに沿った結末をキリスト教の表裏として
見事なまでに正直に表現していると思います。

つまり、愛に対する具体的な行動を示しているのだと思うのです。

皆さん、もし、精神的に大きな悩みがあったり、救いを求めていたり、キリスト教に
興味がありましたら、三浦綾子の小説をお勧めします。

推薦本 氷点、銃口、塩狩峠、泥流地帯、天北原野

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