”人間らしく生きる”ために、先ず自身に必要なことは、自身の”心””体””頭”を
鍛えることと”人”を知ることだと思っています。

”人”を知ることは、本当に素晴らしいことだと思います。

今回はシリーズとして、小生の人生観に大きく影響した五人の小説家の一人
川端康成を紹介致します。

先ず、下記をお読みください。
これは、2年前に頼まれて、小生が沼津朝日新聞に投稿した記事の抜粋です。

『7月20日(土)6年ぶりに芹沢光治良記念館を訪問した。
 今般企画展「光治良と川端康成」が実施されているということで是非とも拝覧したい思いで
 訪問させていただいた。
 拝覧の話の前に私の光治良先生と康成先生との出会いと印象について紹介したい。
 私と光治良先生との出会いは1991年。90歳で書かれた『神の微笑』を偶然にも書店で見かけ、
 その本の前で何かに取り付かれた様に体が動かなくなってしまった。運命的な出会いを感じる。
 それ以来神シリーズ8巻、小説人間の運命、教祖様他10以上の小説を読んできた。
 今も尚、勝手ながら光治良先生を我が師と思って敬愛している。
 特に私が30代後半から40代に掛けて人間形成に相当な影響を受けている。
 光治良先生の印象は、芯はお強いがお優しい。冷静でおとなしいが、曲がったことが大嫌い、
 だれにでもはっきりものを申す。
 縁の下の力持ちで大きな仕事をするが目立たない。家族や知人をとても大切にする。
 一言で言うと利他の人である。
 一方、康成先生と出会いは私が20歳、越後長岡の大学に3年次編入の時だった。
 まさしく越後を舞台にした小説雪国は衝撃的であった。
 私は若さゆえの好奇心と女性への憧れからその後康成先生の小説を20以上読み続けた。
 康成先生の文の綺麗さに魅了されて一時期は他の小説家の作品が雑過ぎて読めなくなって
 しまった時もある。
 私が20代前半時、女性に対する甘美な考えや行動に相当な影響を受けている。
 康成先生の印象は、気が小さいところがあって我儘。人を選んでからはっきりものを申す。
 目立つことが好きで全面的に自分を主張する。女性を溺愛するが、家庭は持たない。
 一言で言うと自我の人である。
 さて、記念館主事殿にはたいへん丁寧に企画展を御説明いただいた。
 今回の企画展の目的である“生まれも育ちも、その作風も大きく異なるふたりが、晩年に
 近い年齢において最も綿密な関係を築くことになった、その不思議さ一端を解き明かす“は、
 豊富で工夫を凝らした展示物や御説明から十分理解することができた。
 その不思議とは先ほど述べた様なお二人の先生方の陰と陽程の性格の違いがうまく融合されて
 大きな力になったことであり、そのことが世界ペンクラブ東京大会を成功に導き、
 更には康成先生のノーベル文学賞受賞に結び付いたのではないだろうか。
 更にお二人の綿密な関係の中での光治良先生の言動は、人間としてあるべき姿”利他の心“を
 我々に無言で教えてくれている。 山梨県 折笠公徳 エンジニア』

事務局や新聞読者からは、芹沢光治良と川端康成の性格を上手く捉えていると好評でした。

さて、話は変わり、10年前、文豪・川端康成を訪ねる旅をしました。
コートのポケットには、”新潮文庫 文豪ナビ 川端康成”。

まさしく、国境の長いトンネルを抜けると雪国でありました。
久々に行く新潟越後湯沢は雪が1m以上積もっておりました。

”文豪ナビ 川端康成”からです
『川端に誘われて、あなたは美しい日本とその心の旅人になる。
 旅に出たいなあ~。ふと、そう想うことがありませんか。
 そんなとき、川端康成の作品を開いてみてください。
 彼に導かれて、美しい日本と、そこに棲む男女のはかなくも
 妖しい心に出逢うことができるはず。
 それはいつしか、あなた自身の揺れ動く心の奥底を
 たどる旅になることでしょう。
 さあ、旅立ちのときです。』

良いですねえ~。今すぐにでも、旅に出たいなあ~!

ここで、当時、小説『雪国』について小生が書いた論説(屁理屈)を紹介します。

『小説のあらすじは
 『国境の長いトンネルを抜けて、「待つ女」のいる土地へ。
 越後湯沢の旅、都会生活で疲れ切った男が旅に出て、
 田舎で暮らす清純な女性によって苦悩を癒される話。
 でも、『雪国』の島村の場合、行きずりの情事ではなく、
 温泉芸者・駒子を訪ねて三度も越後湯沢に旅をするのです。
 駒子は、けなげに彼を待ち続けています。』

 この小説のあまりにも有名な冒頭の句
 『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。』
 について、小生は越後湯沢に向かう上越新幹線特急ときの中で雪景色を
 観ながらひたすら考えていました。

 小説”雪国”は完成までに10年掛かっているそうです。

 川端康成は、冒頭の句一行で小説『雪国』の全てを言いたかったのではないかと
 思えるのです。

 主人公は日頃の都会での生活に疲れて、何もかも忘れられる異国の地へ
 行きたいと考えている。
 それを『国境』という言葉で表わしている。
 『長いトンネル』は、忘れるためには長い時間がかかる、
 つまり忘れたい事が多過ぎる、深過ぎると言いたいのではないでしょうか。

 『抜けると』は、とても気分がすぐれた状態になったととれますね。

 そして『雪国であった』は都会とは別世界。
 何か、新しい良い事があるかもしれない。
 全てを忘れてしまった。
 期待感が伺われます。

 以上、まったくの私見でありますが、この一句には、とても重い深い物語が
 語られているような気がします。

 そして、主人公が雪国から帰る時はこんな感じになるのではないでしょうか。
 『国境の長いトンネルを抜けてしまうと再び現実の世界が待っていた。』

 川端文学は本当に奥が深い作品が多いです。
 自分なりに解釈しながら読んでいくと世界が大きく広がります。』

今、読むとなかなか良い論説(屁理屈)ですね。

もう一つ、川端康成の美文について当時の論説(屁理屈)を紹介します。

『川端康成の小説の一番の特徴は美文です。
 つまり、日本語の美しさです。

 ”新潮文庫 文豪ナビ 川端康成”からです。
 『川端康成こそ日本語の美しさをもっとも際立たせる達人、
 という思いをずっと抱いてきた。
 物語の構成力という点ではもっとすごい作家もいるだろう。
 しかし、日本語が宝石のようにキラキラきらめく文章となると、
 川端先生は別格だ。
 ただきれいなだけじゃなく、ぬめぬめっとした艶やかさが
 文章にある。
 それが川端先生の文体にはある。』

 小生、例として、小説『伊豆の踊子』をピックアップしてみました。
 『道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、
 雨脚が杉が密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を
 追って来た。』

 この美しい日本語から、日本の四季折々の季節や
 日本人の繊細さ、そして人々の心理が想像できます。

 ここで、おもしろいのは、読む人によって、受け止め方が
 違って、若干描写が異なるのでないかという事です。

 ここに、小説を読むという、おもしろさがあるのでしょうね。

 一方、我々技術者は、だれが読んでも同じに理解できる
 文章を書かねばなりません。

 技術文章は、論理的で起承転結、わかりやすい言葉で
 書かねばなりません。

 上司に「小説みたいなレポート」と言われた事ありませんか?

 是非とも、小説を読んで感性を磨き、美文の読書感想文と
 論理的な技術文章が書ける技術者になりたいもんですね。』

川端康成、素晴らしいですね。
(当時の折乃笠の論説(屁理屈)もまあまあですね。)

新型コロナ禍が収まったら、川端康成の小説文庫本をポケットに入れて、
旅に出たいと思います。

小生の本棚には、学生時代夢中で読んだ文庫本20冊が、
出番を待っています。

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