”人間らしく生きる”ために、先ず自身に必要なことは、自身の”心””体””頭”を
鍛えることと”人”を知ることだと思っています。
”人”を知ることは、本当に素晴らしいことだと思います。
今回は、ボクシングライト級元世界チャンピオン・ガッツ石松のお母さんです。
栃木県上都賀郡粟野町。
お父さんが体が丈夫でなかったため、お母さんは親子6名を支えるため、
一家の大黒柱として働いたそうです。
道路や橋の道路工事の仕事を屈強な荒くれものの男たちに混じって
働いたそうです。
有名な悪がきだった石松少年は心に誓います。
「かあちゃんに楽をさせてやりてえ。」
「雨漏りするこの家を直してやりてえ。」
中学卒業後、東京に上京し、名門ヨネクラジムの門をたたくことを決意します。
ガッツ石松談
「上京する日、おふくろはいつも通り朝早くに土方仕事へ出て行った。
駅に向かう途中で、仕事場に立ち寄ってみたんだね。
「東京へ行ってくるぞ」と言うと、おふくろは泥だらけの手で前掛けのポケット
をゴソゴソやって、一枚の千円札をくれたんだ。
そして、パラパラと涙をこぼしたかと思うと、
「偉い人閧になんかならなくていい。立派な人間になれ!」と言った。
うちのおふくろさんは学歴はないけど、やっぱり苦労を重ねて
生きてきた人だから言葉に力があったよね。
すっと心に沁みて、それはいまも忘れない。
結局、その時もらった泥のついた千円札はずっと使えなくて、
いまでも大切に持っていますよ。」
当時の千円は日当が240円だから相当の大金だったそうです。
お母さんは、人には言えないたいへんな苦労をし、”偉い人間”を
嫌って言うほど見てきたのでしょうね。
本当につらい思いをさせられたのでしょう。
お母さんにとって、”立派な人間”とはどんな人間なのでしょうか?
何か今の日本の風潮を見抜いていた様に思えました。
・”偉い人間” = 地位や名誉や富がある人 = ”立派な人”
・地位や名誉や富はないが、徳があり人を敬い利他の心で行動する人 ≠ ”立派な人”
お母さんは
・”偉い人間” = 地位や名誉や富がある人 ≠ ”立派な人”
・地位や名誉や富はないが、徳があり人を敬い利他の心で行動する人 = ”立派な人”
「偉い人閧になんかならなくていい。立派な人間になれ!」
非常に深い言葉だと思います。
小生、この言葉を自分に落とし込んで、じっくり考えてみたいと思います。
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