本日、山梨塩山恵林寺の早朝坐禅会に参加しました。
平均すると月2回位出席していますが、慢性化することなく、
早朝の新鮮な空気と四季折々の庭の景色の中、
緊張感と解放感を持って坐禅をさせていただいております。
昨日の夜ふと思ったのは、自分は一体何の目的を持って坐禅を
しているのか?ということです。
特に最初の頃はどう思っていたか?どう変化してきたか?
小生、9月からいろいろな面で転換期であり、気分一新を考えている中、
一度おさらいをすることに致しました。
2016年9月24日(土)に初参加しています。その時のブログ
『◆先ずは実践
何もせずリラックスしている時の方が色々な事を考えてしまう。
何も考えない、良い方法はないだろうか。
『禅では、頭で何かを考えたりするのは雑念であって、断ち切るべきものと
されている。』
“禅”とは?
◆座禅会 (約50名)
生まれて初めて座禅をした。先程習った作法に従って坐っている。
何か気持ちがすぅ~としている。
背中を撃ってもらう。ビシッ、ビシッ、ビシッ、ビシッ 静かな境内に響く。
気持ちが引き締まる。
30分があっという間に終わる。
座禅。極めるのに相当時間が掛りそうである。
“禅”は、なかなか魅力がありそうだ。』
この時、悩みはあるが大きな悩みは無かったが、坐禅を
まだ一人称で考えていません。
2016年12月11日(日)のブログ
『◆早朝の恵林寺座禅会で習ったことを寝る前の座禅で実行している。
まだまだ、“こころもからだも心地よさだけに包まれる時間”には程遠いが、“姿勢を
整えると、呼吸か整う、姿勢と呼吸のふたつが整うと、こころも整ってくる様な気が
する“時がある。そんな時は朝まで熟睡することができ、起きた時に頭がさえている。
ただし、お酒を飲んだ後に座禅をすると半眼がいつの間にか塞がり、坐りながら
寝てしまう時がある。誠に不真面目である。修行が足らない。
枡野住職に喝を入れてもらわないと。
禅は一人称であり自分が主役である。単純だが深きものである。』
この時、坐禅は一人称で行うものであることを意識しだしました。
2017年1月21日(土)北鎌倉円覚寺のブログ
『座禅会が始まる30分程、あたたかな陽だまりの中でぼ~っとする時間があった。
心は清らかで、体はあたたかく、頭はからっぽ。良い気分だなあ。
半分、ウトウトとしている。
健康であり、悩みはあるけど何とか我慢して、頭は少し使って
一生懸命普通に生きている。
これが一番幸せなのかもしれない。感謝。』
ほのぼのとしていて我ながら名文だと思っています。
時々、読み返ししています。
2017年6月30日(金)大月瑞岳院泊まり禅修行のブログ
会社のリフレッシュリーブ(3週間有給休暇)を利用でいて初狩の山の中の瑞岳院
(曹洞宗)に3週連続、1泊2日の禅修行に参加した(全てお坊様と1対1)。
往復20km全て歩き。
『座禅については、非常に奥が深いという事がわかり、“禅”とは?の追及は、
正直まだまだ年の単位で時間が掛ると強く感じた。
今回の座禅で、一瞬ではあるけれど何も考えない瞬間があった。
その時は心が透明になっていて余計なものが頭から消え去っている様感じ。
合わせて、生かされているという感覚とそれに対する感謝の気持ちを持った。
ところが、その一瞬の後は雑念がやってくる。呼吸を整えて雑念を振り払おうと
すると、余計に頭が雑念だらけになる。
こればかりは、人に雑念の取り方を聞くのではなくて、自分で見つけ出すしかない。
小生のこれからの課題として取り組んでいく。』
坐禅はうっすらモヤモヤながら見えてきた感じがします。
(その後、たいへんお世話になったお坊様がお止めになってからは、
瑞岳院に行っていません。)
2019年8月31日(土)~9月1日(日)恵林寺 禅合宿『己事究明会』のブログ
『合宿での禅の実践により禅の中身が少しわかってきた。
禅は深い、もしかするとゴールは無いのかもしれない。(ブラックホールみたいなもの?)
しかし、そこへ行こうとする努力が大切なのかもしれない。
ただし、ただ単に努力すれば良いわけではなく、常に深く考え、効率よく動くこと。』
いい感じになってきた様に思います。
改めて、過去を振り返ってみて、頭が整理でき有効でありました。
2020年8月30日(日)思っていること
『坐禅の目的は、自分を見つめ直し、本当の自分を知るためにやること。』
更にこれから、精進していきたいと思います。
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