雲一つない晴天の中、岩殿山を登ってきました。
筋トレ中心でしばらくウォーキングをしていなかったこと、
自然の中を歩きたくなったこと、
日本一の富士山の眺めを見たくなったこと
そして汗をかいた後のビールが飲みたくなったこと
により、実行したものです。
岩殿山は「山梨百名山」「秀麗富嶽十二景」にも選定されている大月の
シンボル的な山です。
今はがけ崩れ等によりルートが制限されていますが、今回のルートは、
今まで小生が登ったことがないルートのため、とても楽しみです。
下記地図が今回のルートです。
6時55分、岩殿山の西に位置する我が家を出発。
我が家→岩殿山→我が家 全工程徒歩です。
岩殿山を大きく左に半周して畑倉登山道に到着。
途中、振り返ると青空に富士山がすっきり見えています。
やる気満々!
いよいよ登山開始。薄暗く結構きつい山道です。
約30分間相当な汗をかき、岩殿山頂に到着。
ここは関東三名城の一つ。山頂にお城がありました。
攻めにくく守りやすい。当時の小山田氏の功績。
360度周りの山が伺える。すぐそばに富士山。相模の山々。
難攻不落の要害城と呼ばれた理由がよくわかります。
頂上から青空の中、富士山がはっきり見えます。
左右対称の姿が美しい。
山々の黄緑が輝いています。
見下ろす我が街大月の街並みも美しい。
秀麗富嶽十二景 八番 素晴しい景色であります。
充分富士山と会話したので、20分後山頂出発。
途中、ロッククライミングを体験。
岩を鎖を頼りによじ登る。結構(相当)、危険です。
やっとの思いで兜岩頂上に到着。
断崖絶壁。高所恐怖症の小生にとって足がすくむ。
とにかくスケールが大きいです。
天神山592m山頂を通過。
家から大月駅に行く時、いつも見上げている山であります。
小さなお社を発見。
それにしても急な登り坂がきつい。
10m進んでは止まっています。
息がきれ続けて、心臓がバクバクであります。
稚児落しの頂上。
それにしても凄い岩の絶壁。
足がすくんで前に出なくなりました。
小生の論文より
『1582年3月11日、武田氏が田野において自刀し、小山田氏も
20日甲府善光寺の露と消え、岩殿城に残った一族一党は
三々五々姿を消したのであろう。
しかし、身分や名のある武将や婦女子は身を隠すすべもなく夜陰にまぎれ、
兜岩から稚児落し岩壁方面へと逃げた。
追跡の敵兵の探索は厳しく、夫人は止むなく涙ながらに子どもを岩窟に投げ、
その場を去ったと言う。最後に子どもに末期に水を飲ました所を水くれ堂という。
夫人はツヅラを置き去った峠をツヅラ峠という。
夫人は北東の郷古和田東光寺に身を寄せ、静かに世を去った。
墓は最近までこの寺にあったという。
岩窟に置き去られた稚児は立派な鎧兜を身につけていたが、浅利の郷で
成人したという。』
浅利の郷とは折乃笠が住んでいる地区を言います。
下を見渡すとあった!折乃笠の家が小さく見えています。
その後、急な下り坂で何度もこけながら浅利の郷に到着。
なんと、最初の民家は、小生の友人SHNさんの家。
居るかなと家を覗き込むと石油ストーブをかたずけ中。
「ビール飲んでいくけ?」
「止まらなくなるので、またの機会に。」
とても魅力的な誘惑に打ち勝ち、家に到着。
家を6時55分に出発して、一周して帰ってきたのが10時30分前、
走行距離:7.116km、時間:3時間26分07秒でした。
久々のウォーキングというより登山により、すっかり心身共リフレッシュができました。
岩殿山から観る富士山は、左右傾斜が全くのシンメトリー、前の山々とのマッチングに
より日本一だと思いました。
(大月市は「富士の眺めが日本一美しい街 大月市」をキャッチフレーズにしています。)
そして、家飲みのビール(その後のにごり酒)は最高の味でした。
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