2024年1月26日(金)浅利公民館で山梨県の考古学でたいへん権威のある末木健先生をお招きして『末木先生と浅利を勉強する会』が開催されました。
題目は「甲斐源氏浅利氏と大月・浅利集落」についてです。
◆内容の要約
【浅利集落と浅利氏の関係】
1.浅利集落は岩殿城整備と城番のための根小屋であり、岩殿山は円通寺の修験の山
2.信種と彦次郎は岩殿城や波加利荘の管理を担当した可能性がある
3.郡内領の防御強化のため、浅利氏は他所へ移動した
4.小山田氏が一時的に支配しその後武田氏滅亡、織田信長の死、徳川・条の争いが
あった
5.大福寺と無辺寺の伝記の混同や入れ替わり、『甲斐国志』編纂時の混同に関する
不明な点があり、今後の調査・研究が必要
【今後の調査・研究項目】
1.寺の開基・開山と関係者の調査
2.武田氏・小山田氏などの抗争と支配の変遷を研究
3.不動堂跡の場所と像の年代についての調査
4.浅利集落の特徴に関する調査、特に集落名の由来や萩原豊前守らの動向を探る
◆小生のの感想
講演を聞いて、浅利地区の歴史や浅利氏に関する興味深い情報を知ることができて本当に
素晴らしかったです。
浅利地域がどのように形成され、歴史的な出来事にどのように関与してきたのかを知る
ことは、私たちのアイデンティティや誇りをより深く理解する手助けとなりました。
特に、浅利集落が岩殿城整備や城番のための根小屋として機能していたこと、信種や
彦次郎といった人物が地域の管理に関わっていた可能性など、新しい情報に触れることが
できたことに感動しました。
また、武田氏や小山田氏、織田信長、徳川などの歴史的な動きと地域の関わり合いも
興味深いものでした。
私たちの地域の歴史や文化を学ぶことは、私たちの誇りを高め、地域の未来につなげる
大切な一歩だと感じました。
このような貴重な機会を提供してくださり、心から感謝しています。
引き続き、地域の歴史や文化を大切にする活動に取り組んでいきたいと思います。
特に浅利信種と小山田信茂の関係についてライフワークにしたいと思います。
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数日前に情報番組のNスタ(TBS)で井上アナウンサーが行く「ぶらり日帰り絶景&グルメ旅」という企画で岩殿山の登山に挑戦をやっていました。
小生も以前 大月にぶらっと旅に行ったときに 折之笠さんに案内してもらったので興味深く観ました。小生が行ったときは楽して中腹までしか行きませんでしたが、その先にはいろいろと伝説のある場所があったんですね!
岩殿山の標高はスカイツリーと同じ634m!何か関係が・・・? 桃太郎伝説となっている鬼が隠れていたという大きな岩穴、お城跡の城壁は自然の大きな岩、山頂までは断崖絶壁の鎖場、山頂には敵に見つからぬよう泣き出した子供を投げ落としたことからそう呼ばれる稚児落とし。そして、富士山の大展望が広がり迫力満点でした。(登山当日は天気が悪くて富士山は観れませんでしたが・・・)
登山後は、手打ちうどん「吉田屋」の肉きんぴらうどん?が美味そうでした。今度、行ったときには是非食べてみたい。