「人として何が大切で真の幸せとは」を、真摯に、真剣に、
考え行動してきたお二人がいます。
相田みつを と 坂村真民。
亡くなった後もなお多くの日本人がその作品に魅了される書家と詩人です。
仏教に学び、参禅によって道を求めたお二人に、小生は「人」を強く感じます。
今回は坂村真民(しんみん)を紹介します。
皆さん、相田みつをは御存じでも、仏教詩人・坂村真民は御存じないかもしれませんね。
『坂村真民は1909年(明治42年)、熊本県玉名郡府本村(現・荒尾市)生まれ。
8歳の時、小学校の校長をしていた父親の急逝によりどん底の生活に落ちる。
5人兄弟の長男として母親を助け、幾多の困難と立ち向かい、
甘えを許さぬ一徹さを身につける。
昭和21年から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩作に専念する。』
小生は2018年四国松山近くの砥部町にある坂村真民記念館を訪ねて参りました。
夜行バスによる0泊3日の旅で若干体はきつかったですが、改めて坂村真民の素晴らしさを
魂で知ることができ、本当に訪れて良かったと思っています。
書かれた言葉はすべてが坂村真民の言葉であり、それは決して借り物ではなく、
頭でこねくり回して出てきた言葉でもなく、坂村真民の生き様のあるがままの反映だと思いました。
①自然の偉大さから学ぶ
四国の一隅に住し、毎日未明混沌の刻に起床、夜明けの霊気と光を吸収し、
多くの人の心に光を灯す詩を書き続ける。宇宙や大自然を心と五感で感じているといいます。
詩には太陽や月を感じるもの、道端の小さな花を感じるものなど、自然の偉大さを詩を
通して伝えてくれています。
②人生応援歌
坂村真民は、数々の失敗と挫折を繰り返し何とか乗り越えてきました。
その経験を少しでも多くの読者に勇気と希望を詩によって強く伝えています。
ここで感じるものは、詩と言うのは言葉が少ない反面、読者の心の状況から読者自身が
その言葉から想像し造り上げる部分があるということです。
小生も真民の詩からいろいろな想像物を造り上げました。
③家族愛
坂村真民の心の根底には、常にお母さんがいます。
幼い五人の子を残して父親は40歳で亡くなってしまう。
その時お母さんは36歳。
真民先生は長男で8歳。その後お母さんの悪戦苦闘が始まったといいます。
72歳で亡くなるまで多事多難の連続だったそうです。そ
のお母さんが苦しいとき、いつも口にしていたのが、『念ずれば花ひらく』でした。
これは、お母さんの念仏といってもよく、自己激励の言葉であり、
5人の子たちを育てる上げようとする悲願の念だったといいます。
坂村真民の晩年、お母さんの死をうたった詩
『こみあげてくるかなしみがわたしたち五人にいちどにはげしくわいてまいりました』
このくだり、お母さんの死の悲しみと感謝の気持ちです。
小生、この詩は涙無くして読むことはできませんでした。
真民はお母さんから貰った家族愛を自分の3人の娘さんに深く注ぐようになるのです。
④日常生活
坂村真民の日常生活は非常にシンプルでした。
身心からの深い仏教徒であったそうです。
その中でお酒、特にどぶろくをこよなく愛された。
いくつかのお酒に関する詩がありますが、ちょっと笑える武勇伝もあります。
小生が坂村真民を慕う理由の一つがここにあるのです(笑)。
⑤自己啓発
『超世の願いに生きるのだ』『おもいやり』
『なにかわたしにでもできることはないか』『二度とない人生だから』
この4篇は、言い訳ばかり言っている私の胸にぐさっと刺さります。
真摯に 真面目に 真直ぐに 正直に 人に親切に!
坂村真民の詩のポイントは、命あるものへの惜しみない愛と感謝、
そして優しい激励なんですね。
皆さんには、詩を全文読んでもらいたいものが3つあります。
コロナ禍の中、優しさと勇気を希望をどうぞ!
https://www.engakuji.or.jp/blog/31090/
http://www.tiny.jp/~kazenoushiro/project/nidotonai-jinseidakara.htm
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-117.htm
小生は、坂村真民に出会えた事に心から感謝致します。
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