秋も深まり、歴史散策には心躍る季節となりました。
小生が所属しております「大月小山田信茂公顕彰会」の活動の一環として、忘れ得ぬ1日を過ごしましたので、ここに記しておきたいと思います。
去る2025年10月11日(土)、大月小山田信茂公顕彰会一行で小生のプリウスα7人乗りで華の東京の福生までやってきました。
甲州街道をひた走り、いつもとは違う車の流れに少し戸惑いながらも、我々の心は一つの目的に向かって燃えておりました。
同じ顕彰会のメンバーである歴史小説家の夢酔藤山先生のイベント1日目の講座(全3回)を聞かせていただくためです。
会場は、福生駅近くの「しろうたカフェ」という、温かみのある素敵な場所。スクリーンには「みんなに知って欲しい 郡内小山田のおはなし」というタイトルが映し出され、我々の期待は最高潮に達します。

「まだ小山田信茂は裏切り者だなんて、思っていませんか?」という挑発的ともいえるサブタイトルに、夢酔先生のこの講座にかける熱い思いが凝縮されているようでした。
講座は、定刻通りに始まりました。
約1時間40分、たいへん有意義な時間を過ごしました。

小生、顕彰会の一員として、小山田信茂公については人一倍学んできた自負がありました。
しかし、夢酔先生のお話は、その我々の「知っているつもり」だった知識の土台を静かに、しかし確実に揺さぶるものでした。
知っていると思っていた基礎的なことが意外と知らなくて、改めて基礎知識を復習できました。
先生はまず、配布された詳細な資料を元に、小山田氏の置かれた複雑な立場を解き明かしていきました。
特に、今回改めて深く学んだのは、小山田氏が単なる武田家の家臣ではなく、甲斐国東部の広大な「郡内領」を治める独立した国衆(くにしゅう)としての側面を強く持っていたという事実です。

資料の家系図を見れば一目瞭然ですが、信茂公の正室は武田信玄公の娘、つまり彼は信玄公の婿であり、勝頼公の義兄弟にあたります。
これにより武田一門に準ずる高い家格を得ていました。
しかし、その一方で、郡内領の民の生活と安全に全責任を負う領主でもありました。
この「武田家家臣」と「郡内領主」という二つの顔、二つの立場が、彼の人生、特に最後の決断にどれほど重くのしかかったのか。
先生の解説は、その機微に鋭く切り込んでいきます。
講座の核心は、やはり天正10年(1582年)の武田家滅亡の際、信茂公が主君・勝頼公の岩殿城入城を拒んだ一件です。
これが「裏切り」と断じられる最大の要因であります。
しかし、夢酔先生は問いかけます。「本当にそうだろうか?」と。
資料によれば、当時の状況は絶望的でした。
織田・徳川連合軍の圧倒的な大軍勢が甲斐に雪崩れ込み、武田家の主だった将は次々と降伏、あるいは討ち死に。勝頼公に残された兵はわずか。
この状況で、郡内領の岩殿城に勝頼公を迎え入れ、籠城したとして、果たして勝算はあったのか。それは郡内の民を無益な戦火に巻き込み、皆殺しにするだけの結果に終わったのではないか。
信茂公は、領主として、郡内の民を見殺しにすることはできなかった。
主君への忠義と、領民への責任。その究極の天秤にかけられた時、彼は断腸の思いで「領民」を選んだ。
それは「裏切り」という単純な言葉で片付けられるものではなく、「苦渋の決断」だったのではないか。夢酔先生は、熱のこもった語り口で、我々にそう訴えかけました。
小生、これまでもそのように考えてはおりましたが、先生の論理的で多角的な分析、そして何より信茂公の心情に寄り添う温かい視点に、改めて胸を打たれました。
特に、「知っているつもり」でいたのは、信茂公個人の感情だけでなく、彼を取り巻く郡内の家臣団や国衆たちの動向でした。
彼の決断は、決して彼一人のものではなく、郡内全体の総意であった可能性が高いという指摘には、はっとさせられました。
あっという間に1時間40分が過ぎ、質疑応答も熱を帯びたまま講座は幕を閉じました。
我々顕彰会一行は、深い感銘と、新たな宿題を胸に、福生を後にしました。
その夜は遅くまで大月の居酒屋さんで反省会がもようされました。
今日の講座で得た興奮を分かち合い、酒を酌み交わしながら、仲間たちと信茂公への思いを熱く語り合いました。
「あの資料の解釈はすごかったな」「我々の活動も、もっと多角的な視点が必要だ」と、議論は尽きることがありませんでした。
小山田信茂という武将は、400年以上もの間、「裏切り者」という重い十字架を背負わされてきました。
しかし、歴史とは、勝者の視点だけで語られてはならないものです。
敗れ、汚名を着せられた者の中にも、守るべきものために苦しみ、悩み、決断した人間の真実があります。
今回の夢酔先生の講座は、その真実の光を、暗い歴史の片隅に閉ざされていた信茂公に当ててくれたように思います。
我々、大月小山田信茂公顕彰会の使命は、この光をさらに大きくし、多くの人々に信茂公の本当の姿を知ってもらうことにある。
そう決意を新たにした、実り多き秋の一日でありました。
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