今回はエッセイ第三弾の内容ではなくて、その中の検討項目「思想」=「学問体系」
についてお話しします。

何回か本ブログでも中間報告をしてきましたが、今般ほぼまとまりましたので
報告致します。

先ず、以下の系統図を御覧下さい。


これは 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 を
命題「人として何が大切か、真の幸せとは何か」の観点で一部変更したものです。

ピンク色は重要項目としています。

以下に、命題に関連する学問体系について自分なりの考えをまとめました。
凡人の凡人による凡人のための解釈です

このまとめは小生にとって、今までモヤモヤしていたいろいろなことが明確になり、
さらに小生の一生のテーマ「人間らしく生きる」を追求して行く上で非常に大きな
指針となります。

先ず、モヤモヤしていたことととわかったこと
①宗教の位置付け、宗教は生き方や幸せを考える上で最上位のものなのか疑問でした。
 今回のまとめで学問体系の一部であると認識できました

②今の自分は、宗教、文学、歴史、地理、教育、心理学、工学、芸術などありとあらゆる
 分野に興味があり、それなりに調査・考察・文章化・報告してきました。
 その一つ一つの位置付けが良く分からず、あたかも食い散らかしている感もありました。
 今回のまとめで全体像がわかり、それぞれの位置付けが明確になりました。

③「幸せ」について漠然としていましたが、今回、「人の「幸せ」を考える→哲学、宗教」
 「「幸せ」を実現する手段→それ以外の学問」と明確にわけることにより、「幸せ」の
 イメージが湧いてきました。

④我々の生活の中でさまざまなことを考えたり実行していますが、これらは全て
 学問体系に含まれていてことがわかりました。
 よってその目的や目標、方法論、問題解決に使うことができます。

かなり長くなりますが、一読の価値は十分あると思います。

御自分の「人として何が大切か、真の幸せとは何か」を念頭にお読みください

1.大分類 (1次手段)

1)人の「幸せ」を考える →  哲学、宗教
哲学、宗教は、「幸せ」を定義し、人はどう、「幸せ」に生きるかという問いに向きあうものです。
2)「幸せ」を実現する手段 → それ以外の学問
医学は「健康」から、工学は「モノづくり」から、経済学は「富(資産)の循環と分配」から、法学は「世の中のルール」から、教育学は「人を育てること」から、音楽絵画、文学などの芸術は「表現とその解釈」から、「幸せ」を実現しようとするものです。

2.中分類 (2次手段)

中文類は、科学という形で学問的分類をしました。
この分類の方法はいくつかあり、ある分類では「形式科学」と「応用科学」を「自然科学」に含めているものもありますが、今回は、エンジニア出身の小生としてこだわって、これらを分類したウィキペディア(Wikipedia)方式を選択しました。
形式科学、自然科学、社会科学、人文科学、応用科学があります。

3.人の「幸せ」を考える 

1)人文科学
大分類で示したように、哲学・宗教は「幸せ」を定義し、人はどう「幸せ」に生きるかに向き合うものです。
この考えを我々一般人が日常生活の中で、どの様に行動に落とし込んだらよいかを考えてみます。
哲学は非常に広範囲でありますが、日常生活に落とし込むという観点では哲学の一部である倫理学すなわち道徳哲学が一番適していると思います。
また、西洋哲学よりも東洋哲学例えば論語のようなその土地に結びついた生き方や価値観、精神性を整理して「真理」と提示するものが具体的な行動を示してくれています。
宗教は絶対的な価値としての「神・教祖・教義」を掲げ、その教えを信じることによって「真理」に近づこうとしています。
「真理」そのものが神からの啓示によって直接与えられるなど答えがいきなり出てきているので哲学よりも行動しやすいとされています。
ただし、宗教は多種多様のものがあるため、もっとも自分に適したものを今後見極めなければならないと思います。

4.「幸せ」を実現する手段

1)形式科学
形式科学とは数学モデルに基づいた体系に関する科学の総称です。
数学、統計学に加え、論理学、計算機科学、情報理論など数字を扱う分野がこれに含まれます。
ここで数学を理解するのにおもしろい話があります。
自然科学の理論は完全に証明することはできないが、数学だけは絶対的真理だということです。
おそらく宇宙に他の高等生物が存在しても10進法を採用するかは別として同じ数学をつくっていくということです。
つまり、ピタゴラスの定理は宇宙人が作っても同じということです。
少し飛躍的に考えると数学モデルをベースとした形式科学で「人として何が大切か」「真の幸せ」を定義できれば真理はわかるのではないでしょうか。
一般的に多くのデータを科学的に解析する統計学を用いれば、とても簡単に行動に落とし込むことができます。
統計学の延長としてビッグデータとスーパーコンピュータを使用すれば、かなり詳細な行動パターンを導けるのではないでしょうか。
更にその延長線上にはAIがあります。
人文科学の宗教は絶対的な価値として「神・教祖・教義」を掲げ、その教えを信じることによって真理に近づこうとしています。
この心理は膨大なデータをAIに解析させることによって得られるかもしれません。
ヘブライ大学のユヴァル・ノア・ハラリ教授は著書ホモ・デウスの中で以下を提唱しています。
『これから先、テクノロジーによって人間の心が作り直せるようになると、ホモ・サピエンスは消え去り、人間の歴史は終焉を迎え、完全に新しい種類のプロセスか始まるが、それはあなたや私のような人間には理解できない。』
私は本件については近い将来(2040年前)に必ず起こると思っています。
宗教はとても神秘的で神々しいものですが根本はやはり人が作ったものです。
ファジーな部分も多々あり、現在はファジーな人間しか理解(理解したつもり)できませんが、シンギュラリテイ―により人間になったAIならば新しい宗教を想像できると思えるのです。

2)自然科学
自然科学は生物科学と物理科学の2つに分けられます。
生物科学とは生きているものを扱い、物理科学は生きている者以外を扱うもので物理学、天文学、地球惑星科学、化学に分類されます。
例えば近い将来(一部は既に存在している)サイボーグなどはどちらになるのでしょうか。
これから先、この様な学問領域では区別できないものが多く現れるのでしょう。
「心」とは何か 心はどこにあるのだろう?心は何でできているのだろう?思いはどう発生するのか?心を自然科学的に解明できれば、人が「幸せ」になるアプローチがより深くわかり、人はもっと「幸せ」になれるのではないだろうか?もっと人間らしく生きられるのではないだろうか?と思っています。
自然科学をイメージために、「人間はどこから来てどこへ行くのか」に対し、約20万年前に東アフリカの大地溝帯で誕生し、10億年後に太陽が膨張し、全生物が死滅するという。
「何のために生きているのか」に対し、人間も動物なので次世代をのこすためであり、人間とは何かに対し全ての行動や思考を脳の働きに依存する動物といいます。
無味乾燥的な表現ですが、この言葉から自然科学とはどのようなものかがイメージできます。
生物科学で人間への進化は、300万年前に猿から進化した猿人が登場し、70万年前に原人が現われ、今の人間になったのが10万年前です。
人間への進化は、動物学的に徐々に進化したのではなく、遺伝子の突然変異によるものだといわれています。
それで得たものは「理性の血」、よって人間は「理性の血」と「動物の血」を持ち、進化の時間の尺度でみれば、人間は「理性の血」よりも「動物の血」のほうが圧倒的に濃いのです。
次々と表出する「動物の血」は、ねたみ、やっかみ、憎しみ、怒り、利己心、自暴自棄、暴力的な衝動など、まるでジャングルの獣のごとく、負の感情を生み出し、我々の生活でも日常茶飯事に起きていて、恥ずかしくて思わず赤面してしまいます。
その「動物の血」を抑制し、コントロールするのが「理性の血」だというのです。
私は人間は「理性の血」で自分をコントロールしなければならず、それが「心」だと思うのです。
次に「心」を物理科学だけで考えてみます。かなり偏った考えになります。
「心」は脳の中にあり、原子・分子の集合体であり「心」は科学的に決まった動きしかしないと思います。
「心」は魂であり、脳とは別に魂があると考える人もいますが、それは非科学的であり、科学で解明できないものをサムシング・グレートという神秘的なブラックボックス化するのもおかしいと思います。
137億年前にビッグバンによって宇宙が誕生し、原子・分子が誕生した時点で、エネルギ保存の法則により全ての原子・分子は137億年前から科学的に決まった動きしかしないと思われます。
「心」は脳が作っています。宇宙にある原子・分子のほんの一部が自分の体になり、更にその一部が脳となり、「心」となっていると思います。
別の言い方をすると、人間は原子・分子でできている機械に過ぎません。
将来、AIが人間の心を解明し支配しても、それは人間という機械とAIという機械の原子・分子間の話であって137億年前に既に決まっていたストーリに過ぎない、この世に偶然はなく、全て原子・分子単位の科学的変化に過ぎないと思うのです。

3)社会科学
社会科学とは、私たちが暮らしている「社会」を研究する学問分野です。
その種類は政治学、法学、経済学、経営学、社会学、教育学などがあります。
社会科学の中で政治こそが我々を「幸せ」に導く手段ではないかと思われますが、実行しているのは神や聖人ではなく、我々と同じ一般人です。
日本の政党の中にはバックボーンが宗教団体であるものもありますが、内容は他政党となんら変わりはありません。
全ての法律のおおもとである日本国憲法の第13条には幸福を追い求めることは国民の権利であると書かれています。
しかし、内容がたいへん難しく騒然としていてどの様な場面で使うのかすらわかりません。
もう少し簡単な法律・高齢社会対策基本法は具体的に目的と手段がわかりやすい言葉で書かれています。
法律の文献の中に「幸福」という言葉を探してみると、行動の具体性は示されているものの「幸福」の定義がされていません。
よって法律から直接我々の考え方や行動に結び付けられる「幸福」を語るのは難しいと思われます。
経済は実質GDPと生活満足度(=幸福度)を整理するといくら実質GDPが増えても日本人は幸福になっていないのです。
科学技術が発達しモノが豊かになり平均的に裕福にもなった、美味しいものもいっぱい食べられる。でも何かが足りない。私が幼い頃、東京下町での生活レベルは現在に比べてはるかに低かったです。それでも明るく笑って家族が生活し、住んでいた町も御近所付き合いがあって、明らかに今よりも何か人情味豊かな人たちがいました。
現在、経済が豊かになっても何がたらないのか?
小生は「心」ではないかと思います。
教育は、人の成長と深く関わり、飛躍した言い方をすると「幸福」になるためにあるのではないかと思います。
更に、教育は個人の成長のためだけでなく、国や世界の将来を良くするための人材を育てるという意味でも非常に重要だと思います。
教育は誰かから与えられるだけでなく、仕事に必要な最新の知識や技術を身に付けるために、あるいはより豊かな生活を送るために、常に自分自身を啓発するためのものだと思います。
私は、むしろこの「自分自身を啓発する」ことが、幸せを感じる、幸せになることにとても係わりがあるように思います。
それは、知識や技術が高められ、より自分のものになるからです。
知識や技術を高められると、より自分の視野が広がって、多くの人と出会い、多くの経験をして、更に多くのことを学んで、幸せを感じる確率が高くなると思うのです。

4)人文科学
人文科学には言語学・語学、人類学・考古学、歴史学、地理学、芸術、文学、心理学があります。
歴史学は我々現代人が今後どう考え行動していったらよいのか、どのように未来に向かっていくのかを教えてくれます。
私は歴史によって魂を大きく揺さぶられてきました。
歴史を学ぶことは人生を考えること、歴史はロマンだと思っています。
芸術は、精神活動だと思います。
言葉やしぐさだけでは表現しきれない心の叫びを訴える手段であり、日常生活を送るだけでは満たされない精神的な充足感を得ることが目的だと思います。
表現者は独自の手段で作品を生み出すことによって、鑑賞者はその作品の人為の痕跡を見出すことによって、それぞれ精神的な充足感を得られるのではないかと思うのです。
文学は「自分の人生の物語を書き換える」ことができます。
人が生きていく上で重要な因子として外部からの情報入力があり、更にその情報の中には自分の考え方の根本となりうる思想、学問、知識などがあります。
特にその中の哲学、宗教、倫理などは正直我々凡人には難しくて自分の行動まで落とし込むのはとてもたいへんです。
それとは対照に、頭にすう~と入ってくるのが文学です。
文学にもいろいろなジャンルがありますが、「人の生き方」について因子をピックアップすると
生きる場所(宇宙、いかなる国、日本各地、海、山・・・)
生きる時代(古代、奈良時代・・・江戸時代・・・現代、未来)
生きる相手(神、天皇、政治家、上司、親、家族、友人、敵、ライバル・・・)
生きるシーン(戦争、己の死、別離、再会、裕福、貧乏、飢餓・・・)
精神状態(優越感、劣等感、怒り、苦しみ、幸福、憎しみ・・)
などの無限の組み合わせがあり無限の物語があると思うのです。
我々は文学を読むことによって到底自分の「生の経験」としては味わえないことを、それも短期間に経験でき、自分のことの様に考えることができます。
それは仏教でいう「四苦八苦」の死、老、病、または、別れ、欲求が満たされない等、普段経験したことのないようなことが突然起こったが場合文学による経験がものをいうと思います。
絶望に陥った時の救いになり、人生、心の支えになると思うのです。
私も、何回もそれによって助けられたことがあります。
心理学は抽象的な堅苦しいものと思っていましたが、読み進めるうちにとても具体性があり、我々の身近な悩みを解決する道筋が示されている部分も多々あることがわかりました。
心理学は、直接、人間の心のデリケートな部分を対象にしたとても奥が深い学問だと思います。
人間の心のメカニズムは未知の部分がまだまだ多く、学べば学ぶほど発見があります。
我々の生き方や人生観を変えることもあるのではないでしょうか。

5)応用科学
応用科学には工学、建築学、デザイン学、農学、医学、歯学、薬学などがあります。
私の本業は工学であり、38年間大型商用車製造メーカーのエンジニアでした。
工学の使命は「製品の安全最優先」、「お客様第一主義」です。
本命題「人として何が大切か、真の幸せとは何か」に対し幸せになるための手段、道具であると思います。
残念ながら、長年の工学の進歩は戦争兵器開発によるところが非常に大きいと言われています。
例えば、核兵器開発、化学兵器、宇宙航空兵器、電子兵器などなど、数えれば切りがありません。その目的は殺人です。
純粋にエンジニアとして工学を誇りに思ってきた自分にとって、ほんと悲しく残念です。
また、製造工程による大気汚染、海洋汚染、土壌汚染などもあります。
こちらも、人間どころか、地球上のあらゆる生物を絶滅させてしまう可能性があります。
工学は人間の一番の手段、道具です。人間の使い方によって、幸福になるか、不幸になるかが委ねられているのです。
医学は人間の生死を決める最後の砦であると思います。
そして、医療従事者の方々は、まさしく「聖職者」だと思います。
この機会に改めて医学とはを問いてみたいと思います。
【出典 医の倫理綱領・医の倫理綱領注釈】
『医療の目的は、患者の治療と人びとの健康の維持もしくは増進(病気の予防を含む)である。
 医師はこの職業の尊厳と重要さを十分に自覚することが大切である。
 医療は人類愛に基づく行為である。
 自分の利益のためにするものではなく、他人の利益のために行うこと、すなわち奉仕であることを肝に銘じておくことが必要である。
 したがって、医療行為は人類愛に基づく自発的行為で、医師は良心と医の倫理に従って、医業を行うものである。
 また、相手の身分や貧富の差、国籍、宗教などに左右されることなく、すべての人の生命の尊厳を尊重し、博愛と奉仕の精神をもって医療尽くさねばならない。』
改めて、医療、医学の尊さが良くわかりました。

6.まとめ

如何でしたか。

改めて学問体系を作った人類の凄さに圧倒されてしまいます。

それぞれの〇〇学には人類が生きてきた何万年という年月で蓄積してきた
英知が詰まっているのでしょうね。

ここで小生の提案です。

この様な学問体系は、小学校、中学校、高校で、入学時及び進路を決める
最終学年の4月にそれぞれ咀嚼して説明すべきです。

小学校1年の入学時、小学校6年生の4月
中学校1年の入学時、中学校3年の4月
高校1年の入学時、高校3年の4月

入学時は世の中にはこんなに多くの学問だあること、その中これから学校でどんな
学問を勉強をするのか、将来どの様に役に立つのかがわかります。

また、進路を決める最終学年では自分はどの分野に進みたいのか、
そのためにはどうしたら良いのかを早い内から濃く検討することができます。

特に中学校では高校の普通科、工業系、商業系、体育系、他のどこに進学するか、
高校では大学、専門学校、就職、他どうするか、大学での学部はどうするかなど
重要な選択を早い内から検討することができます。

また全体像の中から自分の位置づけが明確になって、より大きな視点で物事を
考えれるようになると思うのです。

さて、小生もこれからいろな分野を探求していきたいと思っていますが、
今回の整理は常に自分の立ち位置がわかる素晴らしい成果でした。

凡人の凡人による凡人のための解釈。

それでは皆様、今後の折乃笠に少しだけ注目下さい。

 

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