ウクライナへのロシア侵略戦争は一向に収束の兆しは見えず、
むしろエスカレートしているような感じがします。

毎日、ニュースで戦況の報告がありますが、なかでも一般市民の様子を
報告されると、あまりにも、残酷で、無残で、かわいそうで・・・・。

思っているだけで何もできない自分が情けなくなります。

そんな中、朝日新聞5月27日版に以下のような記事がありました。

せめてものも前向きな行動のニュースです。

言っていることだけではなく、やっていることがその人の正体とは
このことですね。

小生が要約しました。
『ウクライナ南東部マリウポリの製鉄所「アゾフスターリ」の技術者
 ナタリアーバブーシさん(35)が、夫のボロディミルさん(42)と
 製鉄所の地下シェルターに入ったのは3月2日。

 2日間のつもりで、製鉄所に逃げ込んだ。
 まさか、66日間もいるとは思っていなかった。

 着いた日、配電施設が爆撃された。
 懐中電灯やろうそくの明かりのもとでの、薄暗い生活が始まった。

 避難したのは4階建て工場の地下―階。
 50平方mほどのコンクリートに囲まれた空間だった。
 外も地下も凍えるような寒さ。

 避難して数日後、シェルターの倉庫には150食分のパスタや米と
 缶詰が残っていた。

 そのときシェルターにいた約30人で分け合うと、1日1食にしても
 1週間ももたない。

 食べ盛りの子どもが何人もいた。
 避難が長引けば、食べ物がなくなる。

 「スープねえさん」が動き始めた。

 「1日1回、スープを作りませんか」。
 そう提案すると、みんな賛同した。

 1日2食、朝はパンケーキなどを焼き、昼は体が温まるスープを作ると決めた。
 夜はお茶だけとした。

 鍋二つに水を張り、オートミールの缶詰2缶にパスタを少量。
 塩で味付けした。

 食事を提供すると、みんなが笑顔になり「おいしい」。
 避難者の一人は「あのスープが生きる希望を与えてくれた」と語った。

 いつしか子どもたちから、「スープねえさん」と呼ばれるようになった。

 ナタリアさんは1日数回、調理などのため命がけでシェルターから出た。

 調理中は「スープねえさん」と慕ってくる子どもたちのことを考えた。

 子どもたちはピザやハンバーガー、アイスクリームの絵を描いていた。
 「少しでもおなかいっぱいにさせてあげたい」。
 来る日も来る日も、スープを作り続けた。

 5月6日。避難から2ヵ月が過ぎ、どんなに節約しても、
 1週間分ほどしか食料は残っていなかった。

 そして、午後5時頃、ウクライナ兵が急いだ様子でシェルターに来て、言った。
 「5分で出て」

 ・・・

 いまは西部の町ブコベルで、政府が手配したホテルに滞在している。』

スープねえさんは、命がけでスープを作りました。

だから、シェルターにいた人達は、自分の食物を全部差し出して
協力したのでしょう。
普通だったら、自分優先ですよね。

来る日も来る日も、スープを作り続けた。
今、自分にできることを実行したのですね。

「スープが生きる希望を与えてくれた」
たぶん、全員がそう思ったのでしょう。

ウクライナへのロシア侵略戦争さえなければ、この様な事は無かったはずです。

利他の心とは?
スープねえさんに教えていただきました。

 

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