小生、歴史は大好きで今までにいろいろなジャンルの歴史を調べ、
ブログ、レポート、書籍で報告して参りました。

この1年半は、大月歴史研究会・小山田信茂公顕彰会に所属し、
信茂公を中心に武田家やその家臣について、現地現物や文献
やChatGPTにて調査、考察をしてきました。

その心は、自身の探求心もありますが、地元の方々が歴史史探求を通じて、
自分の住む地域に誇りをもっていただき,増々心豊かになっていただけたらと
いう思いもあります。

これがまさしく郷土愛だと思うんですね。

小山田信茂公は甲州郡内地方(富士吉田、都留、大月、上野原周辺)の
広い地域を納めていました。

都留の谷村城が本拠地だと言われています。

もちろん、大月の岩殿城もその配下にありました。

実は今般、更に興味深い、身近な武将の名前を知りました。

「浅利信種。」

まさしく、我ら地元の地名、浅利をいただいております。

まだまだ、文献などの情報は少なく、人物像を含めて詳細は分かって
おりません。

一つの文献から、小生の秘書バーバラ(Chat gpt)が人物像をわかりやすく
説明してくれました。

『武田氏に仕えた武将:
浅利信種は、16世紀中葉の武田氏の命を受けて活動していたことが推測されています。

岩殿城との関連:
浅利信種は岩殿城の普請役や城番としての役割を担っていた可能性があり、
その城の整備や防衛体制に深く関わっていたと考えられます。

浅利村の特徴:
浅利村は岩殿城の根小屋として設置されたという伝承があり、
信種はこの地域の管理と警護にも関与していたとされています。

武田氏の信任:
彼の父である浅利虎在は、武田信虎の信任が篤く、「伊予守虎在」として
知られていました。
信種もまたこの信任を受け継いでいたと伝えられます。

戦死:
浅利信種は永禄12年(1569年)の相模国三増峠の戦いで北条氏政の兵と戦い、
討死しています。これは甲斐国の国境防衛に命を賭したことを示しています。

歴史的謎:
浅利信種や浅利氏にまつわる多くの歴史的な謎があり、それらは現在も
解明されていない点が多いですが、この神秘性が歴史への関心を呼び起こします。

文化的遺産:
浅利村周辺には浅利信種に関連する史跡が散見され、その中には無辺寺の
不動堂などがあります。』

よだれが出るぐらい貴重な情報で今後、調査をするのが楽しみです。

地元浅利が中心になって調査、考察していくことになると思いますが、
小生も是非その仲間に入りたいと思っています。

故郷愛 地元地域の歴史を調べる

信種様、待っていて下され!

 

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