「わたしは駅が好き。ドラマがありますもん。」
この言葉、小生の琴線に触れました。

今回は京成押上駅。

皆さん、御存じでしょうか?

たぶん、半分以上の方は御存じないですかね。

そんじゃ、東京メトロ半蔵門線と東武伊勢崎線の乗り入れ駅。
都営浅草線と京成電鉄押上線の乗り入れ駅。

まだ、わかんない?

そんじゃ、副駅名として「スカイツリー前」。これでどうだ。

やっと、わかりましたね。

それでは、何故、小生が押上駅にドラマがありますもん
なのかについてお話致します。

超ローカルな話で、押上以西の京成電車に乗っていた下町葛飾区民
(小生誇りに思っています)と千葉県民の方なら、頷けるでしょう。

1960(昭和35)年の12月、都営1号線(現・都営浅草線)は、
浅草橋~押上間が開業し、京成押上線との相互直通運転を開始しました。

これは、特に下町葛飾区民(含む小生)にとって、画期的な事でした。
電車一本で、国際観光地浅草に行けるし、浅草橋で国鉄にも乗り換えが
できるんですから。
今の小生が思うに、バルト3区・足立区、江戸川区、葛飾区の中で
一気に知名度がトップに躍り出たのではないでしょうか。
(バルト3区は小生の命名で、オシャレな北欧3区とは言えない(笑)。)

浅草線は、その後、浅草橋駅から東日本橋駅、人形町駅、東銀座駅
と南へ順次延伸を続け、1968(昭和43)年に泉岳寺駅へ到達。
京急とも直通運転を開始します。

小生、その頃はまだ小学生でしたが、もう鉄ちゃん見習いの域にありました。
何度も一人で立石駅から押上駅まで行って折り返ししてきた記憶があります。

この頃の押上駅は、2面ホーム4番線で、地下駅としては立派なもんでした。

そして、ここにドラマがあるのです。

1番線は、京成から浅草線への直通電車専用ホームです。
京成電車や浅草線電車が止まります。
行き先は泉岳寺、更に西馬込などです。
電車の中では、ここから一気に都会モードに切り替わり、顔が緊張しています。

2番線は、京成の押上止まり専用ホームです。
ここが非常に味があったのです。小生はここが一番好きでした。
京成電車には、その頃くすんだグリーン色の車両(旧タイプ)があり、
折り返し電車は、金町、青砥、高砂、小岩なんて、葛飾住民しか
知らない行き先だったんですね。
また、千葉から1両でやってくる行商のおばさん電車もありました。
2番線だけ、なんだか別世界なんですよ。

3番線は、品川方面から銀座や日本橋を通ってやってくる
赤に白い帯の京浜急行電車の折り返し専用ホームです。
精悍な顔立ちの電車の行き先は特急三浦海岸だとか横浜だとかです。
かっこえ~!都会の匂いがプンプンしています。

4番線は、浅草線から京成線への直通専用ホームです。
行き先は、青砥、高砂がほとんどで、たまに津田沼なんてのもありました。
電車の中では、都会にいた緊張感から解き放されて、皆ほっとしています。
確か、ワンカップ大関を飲み始めるおじさんがいた様な・・・良いですねえ~。

その頃の押上駅は、なんとなく薄暗くて狭いんですね。
その中で、1番線から4番線には、まったく違ったドラマがあったのです。

今の押上駅は、成田・羽田の2空港につながる重要路線の一部となって
「エアポート快特」「エアポート特急」をはじめとする京成電車、京浜急行、
都営地下鉄浅草線、京成の子会社の北総鉄道の車両が入り乱れています。

昔のホーム毎の個性はなくなってしまいましたが、立石の兄の家に行く時は必ず一旦押上駅に下車します。

今でもなんとなく薄暗く、なんとなく垢ぬけない雰囲気がとても懐かしいです。

やっぱ、押上駅は今でも小生にとって、ドラマです。

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