本日、我ら大月を含む都留郡内御領主「小山田信茂公」の首塚(大月市初狩)にある信茂公の恩首が祭られているという湘南塔の整備と立て看板の設置を行いました。

小山田信茂公顕彰会の前会長の強い想いと行動力と指導力で実現致しました。

看板の製作から施工計画まで全部御自分で実施しました。

更に「信茂公追慕抄」という冊子まで短期間のうちに作られました。

今回、信茂公を忍び、その内容について紹介致します。

はい、皆さん、こんにちは。小山田顕彰会の元会長を務めました、K.Oでございます。今日は皆さんに、わたくしが心を込めて作った『信茂公追慕抄(のぶしげこうついぼしょう)』という冊子について、お話しさせていただこうと思います。

この冊子は、戦国時代の甲斐の国、都留郡内のご領主でいらっしゃいました、小山田信茂公を偲んで作ったものでございます 。

「時の彼方に消えた名へ」〜信茂公の真実の姿を求めて〜
歴史というものは、時の支配者が変わるたびに、過去に石を投げつけられたり、光を当てられたりするものです 。小山田信茂公もまた、時代の風にさらされ、そのお名前には曇りがかかり、魂は深く沈められてきました 。

この『信茂公追慕抄』は、そんな信茂公の「声なき声」に耳を傾け、詩という形で、まるで松風のようにそっと寄り添おうという、わたくしのささやかな試みでございます 。どうか、この冊子が、歴史の闇の中に一筋の光を灯すことを願ってやみません 。

さて、信茂公の最期の時間的経過を追ってみましょう 。

一、天正十年三月三日、裏切りの陰
天正十年三月三日のこと。武田勝頼公は、新府城を放棄され、郡内の岩殿城を目指されました 。信茂公は、勝頼公をお迎えすると約束されたのですが、実はこの時には、すでに武田家から離反するお気持ちを秘めていらっしゃった、と伝えられています 。

この時の信茂公のお気持ちを、わたくしはこのような歌に詠んでみました 。
火を放ち 城を背にして春の道 信じて進む 主従の影よ

二、三月六日〜七日、笹子峠の悲劇
それから数日経った、三月六日から七日にかけてのことです 。勝頼公ご一行は、駒飼宿で信茂公のお迎えをじっと待っておられましたが、信茂公はついに姿を現しませんでした 。そして、笹子峠の道が封鎖されているという知らせが届き、そこで初めて信茂公の裏切りが明らかになったのです 。

この時の情景を、わたくしはこう詠んでおります 。
笹子路に 風なき夜の松籟は 裏切り告ぐる 声なき関所

三、三月十一日、天目山の終焉
そして、三月十一日。天目山田野で、武田勝頼公は自ら命を絶たれました 。信茂公のお迎えが叶わぬまま、武田の旗は、この日、永遠に地に伏したのです 。

この時の信茂公のお気持ちを詠んだ歌がございます 。
たたずめば 春の山風血を洗ふ 主なき旗の 影も寒けし

また、勝頼公の妻となられた北条の姫君も、織田勢の包囲が深まる中、夫とともに最期を迎える覚悟を定め、辞世の歌を残して潔く命を絶たれました 。
黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき 思ひに消る 露の玉の緒

四、三月二十四日、織田の門へ、そして処刑
天目山で勝頼公が自刃されたという知らせが広まる中、信茂公は郡内の領主として、織田勢に出仕を願い出ました 。しかし、織田信長公の心はすでに決まっており、武田と縁深き者は容赦されませんでした 。

この時の信茂公の孤影を、わたくしはこう詠みます 。
生きてまた 忠と仇との 狭間にて 門を叩けど 春風は過ぐ

そして、三月二十四日。甲斐善光寺で、信茂公は母上、そして妻子とともに捕らえられ、やがて斬首に処されました 。その首は、信茂公を慕う家臣の手で、ひそかに郡内へ持ち帰られたといいます 。

わたくしは、この時の情景をこのように詠んでおります 。
善光の 鐘にかき消す 夜の声 名乗らず果てる 春の命よ

六、湘南塔に籟る風〜未来への眼差し〜
時は流れ、郡内の瑞龍庵の跡には、湘南塔の礎石が残されています 。そこに、ひそかに葬られたという信茂公の首塚がございます 。江戸時代の儒教の考え方では「逆臣」と断じられていた信茂公のお名前も、今では静かに見直されつつあります 。

松風の音だけが語り継いできたその無念に、石は何も語らず、風が応えているようです 。
松籟に 名もなき祈り捧ぐれば 塔の礎に 影のこだます

そして、この歌には深い意味が込められています 。
初狩の 地に無言の首ぞ眠る 松風揺れて 将来を見て

あとがき〜風にまかせて〜
この『信茂公追慕抄』は、武田家の忠臣であった信茂公の最期の日々に寄り添い、語られなかった思いに、詩という形で光を当てようと試みたものでございます 。その旅路には、主君を待ちながら果たせなかったお迎え、織田の門に立ちながら報われなかった願い、そして、共に命を絶った北条夫人やご家族の沈黙が重なっているのです 。

風が松を揺らすたびに、それが時の声であるかのように感じられます 。そのような感性が、この一連の歌には流れているのかもしれません 。

この詩篇は、語られなかったものへ向けられた、ひそかな追慕でございます 。歴史が定められたものであるならば、詩は、それに滲む人の情でございます 。風の中に佇む信茂公の魂に、どうかこの思いが届くように—— 。

只々、合掌 。

歴史に詳しく歌人である元会長はたいへんな大酒飲みですが、大月でも貴重な心豊かな文化人でございます。

P.S.
掃除の後の弁当タイムはアルコールレスの健全なものでした。

その後、元会長一派は駅前の大衆中華料理屋へ。小生は明日のプレゼンのために強い意志を持って帰ってきました。

 

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