実は、あの登山家として世界的に有名な野口健さんが大月に住んでいました。

大月市の広報で何回か紹介されていたそうですが。  ???。
実はつい最近知ったのでした。

小生の近所にとっても気さくで働き者のおばさん(推定75歳)がいます。
そのおばさんが大月インターから少し笹子寄りにある食堂兼居酒屋いなだやに
パートで勤めていて、今回そこのマスターと対談を設定してくれたのです。

マスターは、読書好き、歴史好き、あらゆるジャンルに興味があり、小生と意気投合。
現大月市市長と同級生で、大月村おこしを実施中とのことです。

話の中で、お店から2分ぐらい行ったところに野口健さんが3年前から
住んでいて、時々飲みに来て、気さくに近所の人と飲んでいるとのことでした。

大月の有名人と言えば、一番目は三遊亭小遊三、二番目は? 折乃笠公徳か?(笑)
と思っていた矢先だったので、とてもうれしい事です。
(それにしても、小生知らなかった事は情けない。)

せっかくなので、少し野口健さんを紹介します。

『1973年8月、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市生まれ。
日本人外交官の父親と、エジプト人の母親の次男。
少年時代は“フダ付きの不良”の”落ちこぼれ”高等部在学中一ヶ月の停学処分を受け、
停学中の一人旅で植村直己の著書「青春を山に賭けて」と出会い登山を始めた。
周りに登山をしている人がいなかったことから、自身の存在意義の確認手段として
傾倒していく。これもあり、植村を強く慕うようになる。
2018年現在はNPO法人PEAK+AID(ピーク・エイド)代表として、
ヒマラヤ・富士山での清掃活動といった環境保護への取り組み、
また遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」や
ヒマラヤでの学校建設・森林づくり、第二次世界大戦の戦没者の遺骨収集などの
社会貢献活動を行っている。』

何だか、奥の深そうな方ですね。
近い将来、直接お話しする機会があると思います。
とても楽しみです。

野口健さんの自宅は、築200年の古民家をリフォームした広さ約190平米、
間取りは4LLDKの広々とした邸宅です。

マスターの知り合いの地元の大工さんが手掛けたそうで、今も全面的に
改造を託されているそうです。

野口健が山梨県大月市の古民家に住んだきっかけは?

富士山と東京の間に自宅をかまえたいから始まり。

野口健さんは、父親がが外交官だったため、子どもの頃はずっと世界各地を転々とし、
小学校6年生から大学に入るまではイギリスの全寮制の学校で寄宿舎生活を送っていました。
長い海外生活で日本的なものに対する憧れもあり、ずっと田舎に故郷がある人を
羨ましく思っていたそうです。

野口健さんがこの古民家を整えていく上でテーマにしたのは、生活感を出さないことだ
そうです。
生活を感じるものを置くと一気に気持ちが日常に引き戻されてしまうので、心を休める場所に
することを最重視してものを揃えていったそうです。
自分のルーツを感じることのできる空間を作っていきたいと感じたとのことです。

いやあ~。益々興味がありますね。

昔やっていたコマーシャル
「お友達に、なりたいわ~。」

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