”人間らしく生きる”ために、先ず自身に必要なことは、自身の
”心””体””頭”を鍛えることと”人”を知ることだと思っています。

”人”を知ることは、本当に素晴らしいことだと思います。

是非、皆さんにも知っていただきたく、このシリーズを設定致しました。

人を知るって素晴らしい 今回はSIMさん。

先ず、小生のエッセイ第二弾 ”全力で歩き通せ! 折乃笠部長徒歩の旅”の
”刊行によせて”より

『著者との出会い
 最初の出会いは会社のインフォーマル活動の会場であったと思う。
 一言でいえば、大変、「爽やかな笑顔」が印象的であった。
 その後、縁があり、一緒に仕事をするようになっても第一印象のままであった。
 2年間、毎日、顔を合わせ、会話し、そこには必ずと言っていいほど、
 著者口癖の「いいですね~」と「爽やかな笑顔」があった。
 ・・・・・ 。』

小生が設計部から技術管理部に異動した時の直属の上司で常務執行役員
だったのがSIMさんです。

”刊行によせて”にもある様に最初の出会いは、部次長会の総会&懇親会で、
小生は部次長会会長だったため、SIMさんにお酒を注ぎにいった時です。

SIMさんは九州宮崎県出身で、背が高くて、お顔は九州男児、芋焼酎の
飲みっぷりも半端ない。
小生の「爽やかな笑顔」は、愛想笑いで顔が引きつっていた?・・・(笑)

SIMさんは、今までの上司(役員)とはまったく違ったタイプでした。

仕事の実務面では、厳しいことが多々ありましたが、お顔に似合わず、
たいへん誠実で、面倒見が良く、”人”を大切にするお方でした。

小生、初めての管理部門はまったくの未知の世界、
 ・設計一筋27年 → 初めての部間移動
 ・創造性重視 → 規則重視
 ・技術実行者 → 技術演出者              

正直、上司がSIMさんではなかったら、逃げ出していたかもしれません。

また、小生、社内で知り合いが多かったので、新しい未知の課題もどんどん
入って来ました。
その中の一つがパリダカールラリー車のチーフエンジニアです。
正直、就任した頃、兼任は相当きつかったですね。

その頃、リーマンショックでラリー車の戦闘能力をアップするための予算がない、
盟友のラリー会社の大御所社長との人間関係の修復、社内の設計員の確保、
改造する場所探し・・・。

一見、華やかに見える仕事も、これまた逃げ出したくなるような最悪の状況。
社内の他の役員や他設計部長たちからは、「楽しそうで羨ましい、遊んでいる様だ。」

そんな中で、SIMさんはいつも背中を押してくれ、必要な時は自ら矢面に立って
戦ってくれたのでした。

実は、リーマンショックで会社の厳しい海外出張自粛令の中、ラリーのゴール場所
アルゼンチンのブエノスアイレスへ強硬突破出張許可の判子を黙って押してくれのが、
SIMさんだったのでした。

帰国した時、小生の顔が日焼けで真っ黒(日本は真冬、アルゼンチンは真夏)なのを見て
苦笑しておりました。
というのも、そおっと、そおっと行ってきたのに、社内で真っ黒な顔をして歩いているのが
小生だけで、黙っていても顔がアルゼンチンに行ってきたぜと言っていたからです(笑)。

その年の春、横浜パシフィコで自動車技術会の一大イベントがあり、
その中のセッションとしてモータースポーツ関連の論文発表会がありました。

なんと、ホンダF1、ヤマハモトクロスレースなど超有名な発表の中、
小生も唯一のトラックメーカーとして発表に挑んだのでした。

幸いに、初出場から今までの経緯、開発段階での泥臭い苦労話、
レースの感動的なドラマなどでたいへん好評でした。

発表の終盤で、聴衆の中のSIMさんと目が合った時、SIMさんは涙を流していたのです。

SIMさんと一緒にお仕事をしたのは2年間と短かったのですが、小生、会社の中でも
このように”人”を大切にする上司と仕事ができて本当に幸せでした。

その後、SIMさんは引退されて愛知県豊田市にお戻りになりましたが、お付き合いは
今でも続いております。

冒頭で紹介した小生のエッセイ第二弾 ”全力で歩き通せ! 折乃笠部長徒歩の旅”の
”刊行によせて”の最後のお言葉です。

『楽しい時間を過ごすことは心が穏やかになり、幸せな気分になれるのだと
 この本を読めば実感することができる。
 自分で決めたルートを歩き通した後のビールのうまさも伝わってくる。
 幸せかどうかは他人が決めるものではなく、自分が決めるものだとは思うものの、
 著者はつくづくと幸せな人だと思う。
 「いいですねえ~」 』

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