皆さん、もんじゃって、御存じですか?
ウィキペディア(Wikipedia)によると
『お好み焼きに似た食べ物であるが、生地の粉液比が非常に低いうえに、
ソースなどの調味料を一緒に混ぜ込んでしまうため、加熱後の鉄板上に
おいても糊状で固形化しないのが特徴である。
鉄板にへらで押さえつけて焼きながら食べるので、鉄板に接する部分は
程良く焦げた状態で歯ごたえもあるが、押さえつけによる加熱が足りない
部分などは粘った状態となる。』
もんじゃなのに、なんか説明が硬いなあ~。
下町の餓鬼んこが、だちっ子に説明すると (小生もそうだった。)
『うどん粉って知ってかよ?それによ、いっぱい水をぶち込んで、がちゃがちゃに混ぜるんだ。
ソースもドボドボ入れちゃってさ。具はちょびっとしか入れねんだ。
それを鉄板で焼いてさ、見た目はビチビチ●●●に似ているけど、おいしいよ。』
東京・下町の駄菓子屋には、昭和40年代頃、大抵もんじゃ焼きの鉄板がありました。
確か、もんじゃは10円とか20円だったと思います。
その頃のもんじゃは、キャベツとサキイカが雀の涙しか入っていなくて、汁はお椀の底が
透けて見えるほど薄かったんです。
鉄板の上に流すとほとんど水分が蒸発してしまい、残っているものが、こんだけ~?って
感じでした。
それでも、駄菓子屋は子供たちの社交場であり、もんじゃは鉄板上での陣取りなどで
社会に出るための訓練でもあったのです。
また、食べるもんじゃのメニューによって、その家庭の貧困さがわかってしまうのです。
お金持ちの餓鬼んこは、桜エビや紅ショウガやキャベツ大盛、たまごなんか入れっちゃって
それはそれはいい匂を出しながら自慢げに食べます。
お金持ちでない餓鬼んこは、プレーンなもんじゃ。ソースの味しかしません。
それでも、とっても美味しんですね。
小生は父親のおかげで中間層で、たまごまでは入れられませんでしたが、桜エビや
キャベツ大盛は入れられました。
あ~あ。目をつぶると、あの頃の景色、もんじゃをみんなで笑いながら食べている景色が
浮かんできます。
「もんじゃ」は折乃笠にとってロマンなんです。
もう昔を思い出して我慢できなくなって、昨日富士吉田の「道とん堀」にもんじゃを食べに
行ってきました。
もんじゃ食べ放題コース+超冷たい大生ビール 最高~!
たぶん、小生の顔は、あの頃の下町の餓鬼んこの様な幸せな顔をしていたと思います。
◆ホームページにお戻りの方が下記をクリックして下さい。
http://orinokasa.com/index.html
◆御意見をいただける方は下記 Commentをクリックして下さい。
うどん粉、キャベツ、ウスターソース、揚げ玉、切りイカ で 時々『ひとりもんじゃ』しています。たまに宝チューハイ付き。これ以上でもこれ以下でもない、わたしのもんじゃ。
みゆちゃん
流石、下町の元ギャル (おらと中学校の同級生だもんね。)
今度もんじゃに、たらこと餅とチーズを入れると超ゴージャスに。
葛飾バージョンから富士吉田バージョンになるよ。
俺冬になると、女房を連れて月島へもんじゃを食いに行っているけど、人間ウオッチングをしてると面白いね。
俺らはあのカツ丼サイズの丼3杯食うけど、もんじゃを食い慣れていない人は店員に焼いて貰ったり、あるいは自分で焼いたりしている。
けど、焼き加減が判らないから食った気がせず、1杯で帰る人が結構いたっけ。
・・・ところで↑のみゆさんって、どなた?
みゆちゃん → 3年2組(おいらの席が隣だった)の(小倉)みゆきちゃん