さて、皆さん山梨県大月市と言えば、有名人はだれでしょう?
んん~と ん~と そうだ、笑点の三遊亭小遊三師匠!
たぶん、ほとんどの人はそう言うでしょう。
ところが、師匠は生まれは横浜で育ちが大月なんですね。
インターネットで調べても現代では大月の有名人はほとんどいません。
が、歴史的にはいるんですよ。
1.浅利与市
2.小山田信茂
3.笹子追分人形
4.桃太郎
1.浅利与市はおらが村の英雄で、鎌倉時代の壇之浦合戦で
弓の名手として活躍しました。
2.小山田信茂は大月岩殿城の城主で命をはって庶民の命を
守り抜きました。
3.笹子追分人形は???。人ではなかったですね。
山梨県無形文化財に指定されている有名な人形浄瑠璃です。
4.桃太郎は、今や生まれは岡山ではなくて大月であると
自負して、市長は観光の目玉にしようとしています。
この四大歴史人物は、8月6日のかがり火祭りで
テントをそれぞれ独立に構えてイベントと展示を行います。
小生も1.浅利与市 2.小山田信茂のスタッフとして参加します。
さて、ここで話は大きく変わり、たいへん興味深い話があります。
実は今、2.小山田信茂と3.笹子追分人形がタッグを組もうと
しているのです。
まさしく、歴史・文化の融合です。
笹子追分人形の会長様から小山田信茂顕彰会の会長へ依頼あり。
人形のための脚本というか?、「信茂公裏切り説」を覆すような
人形浄瑠璃の台本が欲しいと依頼があったのです。
ここでもう少し、両者の説明を致します。
小山田氏信茂公は、武田軍団の先鋒大将として活躍し、
文武両道を備えた武将として、信玄公からも信頼を得ていました。
しかるに、江戸時代に出された「甲陽軍艦」で、信茂公は武田家を
滅亡に追い込んだ裏切り者とされたために小山田逆臣説が通説と
なってしまいました。
現在、それが誤りであったと、半世紀以上前から指摘され、近年多くの
研究者の検証により通説は覆されつつあります。
笹子が宿場町だったころ、街道第一の難所である峠に差し掛かる頃に
日暮れとなる。旅人は宿をとると他に何も楽しみがないことと、それまでの
旅の疲れを癒し、鋭気を養うため人形芝居を楽しんで翌日に峠を越えて
駒飼いの宿へ向かいました。
人形浄瑠璃は、江戸の末期から明治にかけて山梨県内各地へと
伝えられましたが、笹子追分人形だけが残っています。
その後、県内各地の人形浄瑠璃が衰退していくなかで追分人形が
今日あるのは、初代西川伊久造こと天野忠助の努力があったからです。
山梨県では唯一、江戸の流れをくむ三人遣いで県の無形文化財に
指定されています。
現在、小山田信茂顕彰会の会長は、忙しい中、地元大月の伝統文化と
歴史を守り、更に後世に継承発展するようにと台本作りに精を出されています。
小生も先日校正を依頼され読ませていただきましたが、とっても感動的な
台本でこれが人形浄瑠璃で演じられたら.号泣もんだなと思いました。
とても楽しみです。
以上、ある地方での小さな話かもしれませんが、素晴らしい話だと思います。
まさしく、歴史はロマンだ! です。
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